辛い事実に追い打ちをかけるように、香りが思い出させる
浩二と別れてから3年が過ぎようとしていた6月のある日、佳恵子は東京に出張中の共通の友人と麻布十番で夕食をしていた。話の流れから彼の結婚式の話が挙がった。
既に籍を入れていた彼女とは結婚式はまだ挙げていなかったが、海外駐在の話が決まったタイミングで、家族と仲の良い友達だけで式を挙げることになったという。友達もあまり詳しいことは話さないが、元気にしているそうだ。
「まあ、あいつは佳恵子には悪いことをしたって思ってると思うよ」
内心、不意打ちで知らされた浩二の結婚に面喰いながらも、友達に余計な気を遣わせたくなくて、気にしていないフリを通し続けた。もう過去の話だ……今さらそんなことを聞いたって、何も思わない。そんな心配なんてされなくても、私は幸せにやっている。
グランドハイアット東京の『マデュロ』で飲みなおそうと誘われたが、次の用事があるからと言って断った。夜風にあたりながら、佳恵子は麻布十番の商店街を抜けて、けやき坂を上がっていく。横を通り過ぎた男性グループの誰かから、ふとブルガリ マンの香りが鼻をかすめ、一瞬目が潤んだ。
「浩二がかつてつけていた香水だ。どうしてこんな時に……」
浩二の身長は彼女の髪にちょうど鼻が当たるくらい。彼女が道路側を歩きそうになると、内側に彼女を寄せながら、髪に鼻をくぐらせて佳恵子の香水の香りを嗅ぐのが好きだった。佳恵子も、その時に浩二のTシャツからブルガリ マンの香りが漂ってくるのが好きだったのを思い出した。
消し去っていたあの日のことが、一瞬頭の中を過る。記憶の奥底に閉じ込めていた、あの日の浩二との電話のやり取りだ。
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