官僚が多忙であることはなんとなく知っていた。だが、いくらなんでも1週間も返事がないなんて、自分にはあまり興味がないのだろうと、香織が頑張るのも馬鹿らしく思えて、連絡は途絶えた。
だからこの突然の連絡に、香織の気持ちは少しだけ舞い上がった。恋愛にはタイミングが大切な要素だ。当時はうまくいかなかったことも、時間を置けばうまくいくことだってある。
特段仲が良かった訳でもない同級生からの数年ぶりの連絡には、何かの勧誘ではないかと身構えてしまうが、キャリア官僚の彼に限ってそんなことはないだろう。
香織はすぐに彼からのLINEに返信し、デートの約束を取り付けた。彼の方から連絡してきた割に、やはり今回もやり取りには時間がかかったが、気長に彼からの連絡を待った。
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開業したばかりの虎ノ門ヒルズにあるフレンチレストランで会った彼は、以前の記憶通り、少し面長で意志の強そうな瞳と薄めの唇を持ち、口はキュッと結んでいた。髪型は短めのおしゃれ七三で、ほんの少しのチャラさと溢れる程の堅さを併せ持っている。ただ、3年前にはなかった皺が、眉間と目尻にうっすらと線を作っていた。
「実は最近、日比谷線で香織ちゃんを見かけたんだよ。上司と一緒にいたから声をかけられなかったけど。」
彼は饒舌に話し始め、前にも増して綺麗になっててびっくりしたよと、リップサービスも忘れていなかった。少し奥手な印象だった彼が、女性の扱いに慣れていたことに香織は戸惑った。
直樹は、相変わらず仕事に追われる毎日だが、2年前、霞ヶ関に引っ越したから通勤電車に乗らなくなった分ストレスが減ったよと言った。
「霞ヶ関に住んでるの?」と香織が驚くと、「住所は虎ノ門だけどね」と笑っていた。
霞ヶ関駅から徒歩5分、約20㎡の1Kに住んでいるそうだ。ご丁寧に家賃は諸々込みで12万ということまで教えてくれた。
官僚というのは、香織が思っていた以上に多忙を極めるようだった。定時で帰れることはまずなく、終電で帰れば良い方で深夜の帰宅や1週間近い泊まり込みもザラなのだそうだ。自分の部屋なんて、着替えと2〜3時間の仮眠のためにあるようなものだとも言った。
残業代も微々たるもので、いくら残業をしても給料が跳ね上がることはなく、年収は外銀や商社に行った、大学の同期の半分もないかもしれないと嘆いていた。
激務の上に30代で年間数百億というお金を動かし、責任だけは重くのしかかってくる。その上、世間には官僚に悪いイメージを持っている人も多く、ステータスにもならないと直樹は仕事の愚痴をこぼした。
優秀な人材が身を粉にして働くそのモチベーションはやはり、国家の中枢に携わっているという誇りのようだった。だが同時に、自分は特別なエリートなのだという選民意識のようなものも感じられ、香織にはそれが少しだけ鼻についた。
食事を終えると、虎ノ門や霞ヶ関周辺を歩くことにした。霞ヶ関見学をしたいと香織が言ったのだ。自分の仕事に興味を持たれたことに、彼は気分を良くしたようで、たまに行くレストランまで教えてくれた。
日比谷線の女
過去に付き合ったり、関係を持った男たちは、なぜか皆、日比谷線沿線に住んでいた。
そんな、日比谷線の男たちと浮世を流してきた、長澤香織(33歳)。通称・“日比谷線の女”が、結婚を前に、日比谷線の男たちとの日々、そしてその街を慈しみを込めて振り返る。





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