タクシー代の秘密 Vol.4

タクシー代の秘密:2012年、ゆとり世代が「先生」と慕った、タクシー代以外もくれる男とは?

今宵もまた東京の至るところで、出会いを求める男女が戦を繰り広げている。

楽しい時間のあとに男性が取る行動としてスマートと讃えられる”タクシー”術。 お金を渡すのか、一緒に送っていくのか、それとも……?

前回までは通算2,500回の「お食事会」に参加し、元“プロ女子大生”という肩書をもつ優子のタクシー代事情を紹介してきた。

2000年頃はタクシー代だけで暮らせたり、ライブドアショックリーマン・ショックなど時代の移り変わりと共にタクシー代の在り方も変遷していった。

時代は移り変わり2012年へ。優子からバトンを受け継いだ、平成生まれ・ゆとり世代の「愛」が現代のタクシー代事情を語っていく。

“平成生まれ”がチヤホヤされたゆとりバブル


平成元年生まれが社会に出るようになり、お食事会での会話は「何年生まれなの?」と聞かれることが多くなった。平成元年生まれの私は当時23歳。若さは珍しくないが、“元年生まれ”ということが肩書として生きていた。

平成元年生まれです、と言えば男性陣のテンションは急上昇。なかにはギリギリ昭和で生まれた同世代もいたが、彼女たちは「そうなんだ」の一言で片付けられ、同じゆとりでも扱いが違かったのだ。

今となってはここまで珍しくない平成生まれだが、このときは自分たちが前線。アイドルグループが「昭和でshowは無理」と昭和生まれを皮肉る歌詞もあったほど、新たな時代の流れを感じていた。

就職難ではあったが、無理はしない、目上とのコミュニケーションはとりたくない、マニュアル重視が多かったため、彼らと差をつけるのは簡単。意外にも第一志望に内定が決まり、IT企業の腰掛けOLとして社会人をスタートさせた。

ほぼ残業はなく、18時には帰社ができるので、そのまま同じように就職した友人と遊びに行く。お食事会メンバーの調達をするべく、銀座コリドー街や西麻布、六本木のナイトクラブでVIPルームに入るのがお決まり。次の日が仕事でも、若さゆえ深夜まで遊ぶのが常識。

この当時によく遊んだのは飲食店経営者やプロダクションの社長。サラリーマンに比べて見栄を張る彼らは、お金に糸目をつけない。自己紹介のように「平成生まれです」と言えば、シャンパンを振る舞ってくれ、別日にはお食事会を西麻布の会員制レストランで開催。本当のバブル期とまではいかないが、つかの間の“ゆとりバブル”を味わっていた。

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