「梨花さんはきっと好きだと思うよ」と誠さんが言っていたとおり、ティオン・バルは好奇心のそそられるお店や風景の多い街だった。もとは1930年代に建てられたシンガポール最初の公団住宅街で、最近はお洒落なお店やカフェが増えて、若い西洋人も多く住んでいるらしい。
「休日にブランチして散歩するのにぴったり。N.Y.でいうブルックリン、日本だと代官山みたいな感じかな」
そんな例えどおりの、30代以降の女性のひとり旅にはぴったりのスポットだと思う。
『ティオン・バル・マーケット』の中のホーカーで中華風のカレー、ハイナニーズ・カレーを食べてカフェや本屋を巡っていたら、あっという間に午後3時になっていた。健二さんからの折り返し電話はないままだ。
健二さんはすらっとしていてお洒落で、テレビのキー局に勤めていて独身。経済力も話術もある。たぶん、吟味していたのだと思う。選択肢は多いはずだから回遊するだろう。そうネガティブに妄想していると、私は“自分がどうしたいか”よりも、相手の顔色ばかりうかがっていた。段々と、LINEをするのさえ迷惑かなと思うようになっていた。自分を疎かにしていたし、気持ちを伝える努力もしなかった。
それがシンガポールに来てから、次の恋愛では、変わりたいと思うようになっていた。私に正面からぶつかってきてくれる誠さんの真摯な姿勢も刺激になった。もちろん、すべての口説き文句を鵜呑みにするのは、まだ怖い。だからこそ、健二さんの時とは真逆に、自分の古傷も不安もさらけ出して、距離を縮めてみたい。
3日連続だから云々ということなしに、誠さんに電話をしようとしたら、タイミングよくLINEが入ってきた。
「今日、この後はどう過ごすの?」
すぐに電話をかけて行ってみたい店の名を伝えると、誠さんは一緒に行こうと誘ってくれた。明日のシンガポールから羽田へのフライトは午後の2時。私がこの街にいられる時間は、あと24時間もない。
気になっていた店『2am Dessert Bar』は、アジアNo.1パティシエに2年連続で選ばれたというジャニス・ウォンがオーナーを務める店。また例のごとく誠さんは店の前で待っていてくれて、ネイビーのポロシャツにグレーのパンツというシンプルな普段着だった。
「僕もこの店は初めてなんだけど、お酒も飲めるから男の人にもいいね」
そう、ここはスイーツとカクテルのペアリングが名物ということもあり、お酒が好きな私は以前から興味があったのだ。私は“クラシック・プラム”という名のカシスと梅、ヨーグルトによるデザートに、梅のカクテルを合わせた。誠さんはジントニックを頼んでいた。