~和太鼓のあり方は自由でいい。先人の思いを受け止めて未来を切り拓く~
技術だけでいえば、後輩にすぐ抜かされる
山部:伊勢太鼓ギャザリングは去年スタートしたばかりですが、続けていくことで参加者が増えていくだろうし、「行きたい」という人も増えるはずです。実は伊勢って、日本の観光地の中ではインバウンド集客に苦戦している地域なんです。
金丸:アクセスはあまりよくないですからね。でもひょっとすると、遠くて不便なところの方がいいかもしれません。鹿児島県の離島に三島村というところがあるんですが、その小さな村がジャンベの世界的な名手、ママディ・ケイタを招いたことがあるんです。
山部:あの、ママディ・ケイタを!?
金丸:鹿児島の人だって、ほとんど行くことがない離島ですが、それ以来、「ジャンベの聖地」のようになり、世界中からいろいろな奏者が来るし、人口330人程度の村にジャンベスクールもある。「東京」を経由せずに、直接田舎がグローバルになったという意味で、三島村のケースは面白いですよ。
山部:素晴らしいですね。三島村の話は知らなかったので、勇気づけられました。
金丸:ジャンベも肉体系ですけど、和太鼓はさらに肉体系じゃないですか。カルチャースクールとしての広がりも期待できそうです。
山部:下半身をガッと入れて、体幹で打ちますからね。それに叩くところが少々ズレても問題ないので、音楽が苦手な人でも一緒にできる。ボクササイズのように、戦いたいわけじゃないけど体を動かしたい、音楽に触れてみたいという人にとっては、入り口になれる楽器だと思います。ただ、関東ではスクールとして成立していますが、地方に広がっていくのはこれからですね。
金丸:それこそ、伊勢ではスクールはやらないんですか?
山部:伊勢でも始めたところです。奏者を育てるのが目的ではなく、太鼓を打つ人、楽しむ人を増やすことを目的に。
金丸:じゃあ、これからが楽しみですね。山部さんの活躍や伊勢のお祭りを見たことで、「自分もやりたい」と始め、さらには太鼓の継承者に成長してくれるかもしれない。
山部:技術だけで言えば、後輩に追い抜かされるのなんて、あっという間ですよ。私には5つ下の弟がいるのですが、太鼓がすごくうまくて。子どもの頃から一緒にやっているので、5年先のお手本をずっと見ながら育ってきたようなもので、私より成長のスピードが速かった。「のちの世代は成功例を見ながら育っていく」というのを、身をもって感じました。
金丸:そうなんですね。弟さんもプロの奏者なんですか?
山部:それが、私が20歳を過ぎたときに「演奏家になるのか?」って聞いたことがあるんです。すると弟は、「俺は兄貴より太鼓はうまいかもしれない。でも、俺のあとに兄貴が出てきて一発打たれたら勝てない。だから演奏家にはならない」と。
金丸:それって、山部さんにはすごみがある、と。
山部:私の方が前に出ていたというか、私が長男で、次男の弟はそれについてきたという感覚があるから、そんなふうに感じていたんでしょうかね。
金丸:山部さんはずっと先頭を切ってこられた。先頭を走る人の責任は重いですね。
自分の愛を込めた作品で、国内外を回り活動したい
金丸:海外での演奏機会も結構あるのですか?
山部:ありますね。先ほどヨーロッパの話をしましたが、アメリカでも太鼓を習っている人は多いですし。今後の展望としては、自分の作品で海外を回れるようにしたいですね。太鼓のコンサートは、あるテーマに沿って表現する作品というより、賑やかな曲、静かな曲、いろいろな曲を続けて演奏する形式が主流なので。
金丸:たしかに、言われてみればそうですね。
山部:これまでのような伝統的な曲を連ねていくのではなく、テーマ性のある作品をコンテンポラリーダンスのように台詞なく表現したいというのが、自分の中でずっと課題としてありました。それで去年、初めて30分の「作品らしいもの」を作りました。演出も考えて、舞台装置も含めて太鼓での舞台表現を作り上げて。再演できるものができたので、海外も含めて各地で上演していきたいです。
金丸:演奏だけじゃなくて、演出も手掛けられるんですね。そういう作品に対する考え方って、自然に湧いてきたものなんですか?
山部:東京に出てきてからですね。コンテンポラリーダンスを観たり、美術館に足を運んだりするようになった影響があると思います。
金丸:音楽だけでなく、さまざまなアートを吸収して、山部さん独自の表現を作り上げていますね。
山部:12歳の頃に、最初に立った海外の舞台がフランスでした。ラ・シガール劇場で叩いたときの興奮と衝撃が忘れられなくて。いつか自分の作品で、あそこに戻れるようになりたい、という想いがずっとあります。
金丸:これからも山部さんの活動を応援しています。いずれパリの舞台に立つときは教えてください。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。




