SPECIAL TALK Vol.142

~和太鼓のあり方は自由でいい。先人の思いを受け止めて未来を切り拓く~


太鼓を叩くのが親子のコミュニケーションだった


金丸:お生まれはどちらですか?

山部:岡山県倉敷市です。

金丸:瀬戸内の穏やかな街ですね。それに、どことなく文化的な雰囲気があります。

山部:文化という意味では、大原美術館もあって豊かなところだと思います。ただ、地元の人間には当たり前すぎて。旅行で来るといい街なんでしょうけど(笑)。

金丸:まあ、地元の人ほど魅力に気付いていないという話はよくありますから(笑)。ところで、太鼓を始めたきっかけは?

山部:きっかけというほどのきっかけがないというか、もっと言えば、「始めた」という感覚すらないんですよ。家に普通に太鼓があって、特に何も考えることなく叩き始めたので。

金丸:そんなことってありますか?倉敷だとみんな家に太鼓を持っているというわけじゃないですよね(笑)。

山部:倉敷でもまったくポピュラーじゃないです(笑)。でも、うちの父はアマチュアで太鼓を叩いていて、母はピアノの先生をやっていました。

金丸:じゃあ、山部家は音楽一家なんですね。

山部:倉敷天領太鼓という地元のチームがあって、父はそこに参加していたんです。だから、家に太鼓が置いてあるのが普通でした。父が太鼓を叩いているのを見て、私もそのまねをして叩いたという、それだけのことです。

金丸:太鼓を叩くという意識もなく、ただお父様のまねをされていたと。

山部:そうやってまねしていたら、父が遊んでくれますからね。それに叩いたら大きな音が出るから、それだけで何だか楽しいじゃないですか。

金丸:「太鼓を始めた意識がない」というのは、そういうことだったんですね。

山部:よく取材で「やめたくなったことはありますか」「苦しいことはなかったですか」と聞かれますが、始めたつもりがないから、やめるという感覚もなくて。それでも、ちょっと距離を置きたいな、というときはありますけど。

金丸:太鼓を好きに叩かせていたのは、お父様の作戦だったんですかね。山部さんに叩いてほしかったから。

山部:「やれ」と言われたことはありませんが、今思えば、やらせたかったんだろうとは思います。

金丸:じゃあ、お父様の作戦勝ちですね。

山部:目の届くところに太鼓とバチが置いてあって、しかも「触っちゃダメだよ」とも「大切にしてね」とも言わない。そりゃあ、まねして叩きますよね。そんな家庭環境だったから、幼稚園に入った頃に「よその家には太鼓がないんだ」って、やっと気付きました。

金丸:太鼓があるのが当たり前すぎて(笑)。

山部:「物理的に太鼓があるわけではない」というのは、早いうちにわかりましたが、概念というか、「太鼓とのかかわりが希薄な人がいる」ということに気付くのには時間がかかりましたね。

深く考えるまでもなく、自然とプロの道へ


金丸:ところで、倉敷天領太鼓の歴史は長いのですか?

山部:創設が1972年です。太鼓だけでアンサンブルの舞台をやろうというのは、1970年代以降に本格化した流れなので、そういう意味では結構歴史がありますね。

金丸:お父様だけでなく、山部さんもそこに入ったのですか?

山部:そうです。倉敷天領太鼓で最初に舞台に立ったのが6歳。市民会館である年1回のコンサートがデビューでした。

金丸:お父様から太鼓の指導を受けたんですか?

山部:それがまったく。小山さんという倉敷天領太鼓創設者の方がいらっしゃるのですが、言うなれば、太鼓の指導は小山さんに「預けた」状態でした。だから、家に帰っても稽古場でも、父が太鼓のことで私に口出しすることはありませんでした。のちのち、太鼓の演奏家になると話したときも、「自分が口を出せることではないから、好きにどうぞ」という感じでした。

金丸:面白いですね。潔く任せきったお父様が格好いいのか、小山さんが怖かったのか(笑)。山部少年の実力は、当時から高かったんですか?

山部:技術はともかく、物怖じしませんでしたね。どこでもパッと自分を出せて、「俺だぞ」とアピールできる子どもだったと思います。

金丸:それって、表現者にぴったりの素養ですよね。

山部:周りの大人は、そんな私を面白がってくれていたけど、自分自身は「俺がうまいから、ちやほやされているんだ」と錯覚していて。だから、過信して生きていましたね(笑)。

金丸:コンテストに参加したことは?和太鼓にも、全国大会みたいなものがありますよね。

山部:大会に出たのは一度だけです。第3回東京国際和太鼓コンテストの大太鼓部門で最優秀賞を受賞しました。

金丸:それが何歳のときですか?

山部:2004年、16歳のときですね。

金丸:若くして、技術も十分じゃないですか!その時点で、将来は太鼓演奏家としてやっていこうと決めていたのですか?

山部:何かきっかけがあって決めたというより、「ずっと太鼓を叩いて生きていくんだろうな」とぼんやり考えていましたね。あまり深く考えずに、高校を卒業したらプロの道に進むだろうと。

金丸:太鼓にもアマチュアのチームもあれば、プロ集団もありますよね。でも、山部さんはひとりの演奏家として活動されている。どこかに所属するという選択肢は考えなかったのですか?

山部:正直、そこまで考え抜いて「こう」と決めたわけではありません。

金丸:「ひとりでもいける」と確信があったわけでもなく、「やったら、いけちゃった」という方が近そうですね。

山部:ここまでいっちゃった以上、引き返せないし、引き返す場所もなさそうです(笑)。ひとりでやっていくぞと言っているような奏者は、カンパニーも扱いづらいでしょうし。

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