SPECIAL TALK Vol.142

~和太鼓のあり方は自由でいい。先人の思いを受け止めて未来を切り拓く~


先人に教わったからこそ、変えることが怖くない


金丸:自然と太鼓を叩き始めて、演奏家になる道も自然と選んだ。プロの演奏家になるにあたって、お父様は何もおっしゃらなかったということでしたが、お母様は?

山部:母からも特に何も。ずっと太鼓を叩いているのを見て、もう諦めていたようです。

金丸:子どものやりたいことに口を出さないって、立派な親御さんだと思いますよ。でも日本って、文化に対してお金を出すという土壌がないから、プロとしてやっていこうとすると大変ですよね。

山部:こんなに食えない世界だとは思っていませんでしたね(笑)。プロになったとはいえ、すぐに演奏家として食べていける状態にはなれず、結構長い間倉敷に留まって、倉敷の街や人に育ててもらいました。

金丸:今は東京を拠点にされているのですか?

山部:倉敷と東京、どちらも拠点です。26〜27歳くらいに東京での仕事が増えてきて、月の半分くらいを東京で過ごすようになりましたが、なんだか気持ちが落ち着かないまま太鼓に取り組んでいるように感じて。東京にも家を持つことにしました。

金丸:生まれ故郷の倉敷で活動するのと、東京ではやはり違いがありますか?

山部:ありますね。倉敷では太鼓に付随する三味線や尺八の奏者と自然につながりができていたし、だからこそ邦楽というジャンルに留まっていました。一方、東京ではクラシックやジャズといった異なるジャンルで活動する音楽家たちと一緒にやる機会が増えましたね。

金丸:太鼓と一緒にやり慣れている人と、そうでない人とやるときは、全然違うのでは?

山部:おっしゃるとおりです。文化やルールが違いすぎてびっくりすることもあります。

金丸:聴いている方は楽しいですけどね。

山部:和太鼓に限らず、和楽器全体が従来のやり方以外も選択できるようになってきたのは嬉しいですね。ただ、ほかの分野の方たちと演奏するときは、演奏技術も求められますが、それ以上に文化的にこれはやっていいか、いけないかみたいなところもあって。それを私たちの1世代、2世代ぐらい前の先輩方が、「こういうのもありじゃないか」と試行錯誤をされたことが、今に繋がっていると感じます。

金丸:では、山部さんにはさらに発展させてもらわないと。

山部:もちろん考えています。2世代くらい上、今の80代の方々に育ててもらったことが、私の財産になっていると感じています。「あの時代は、こういう背景があったから、こういうかたちに落ち着いたけど、今の時代だったら別のかたちでもいいだろう」と、当時の背景や意図を含めて教えてもらえたのは、本当によかった。「どうあるべきか」よりも「意図を間違えなければ、どうあってもいいんじゃないか」という感覚を早くから持てたのは、私にとって大きかったです。

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