TOUGH COOKIES Vol.60

全く眼中になかった男に迫られ、急に意識してしまった28歳女は…

SUMI

ふいに邪念が浮かんだ自分が情けないと、大輝は脳と心の絡まりを整理するように事実を並べていく。

おそらく崇は、自分とキョウコの関係を知っている。他の女性と関係を持った崇からキョウコの心が離れた後だとはいえ、妻に恋をしていた大輝を面白く思わないのは当然だ。

それに、その歪な3人のチームでの仕事を決めたのは大輝自身。その上、崇の指摘はいちいちもっともだった。

― とにかく、今は書くことに集中する。

一緒に仕事をするようになって、キョウコはすごいと改めて思う。自分を愛した2人の男の間にいても、平然とただ自分の役割に徹して物語に没頭し、かつ素晴らしい物語を描くことができる。それは大輝が信心だから、という単純なキャリアの差ではない。シーンを紡いでいくということを、他の何より尊重するという覚悟が、自分とは違うように感じていた。

たとえその内でどんなに激しい情念が渦巻いていたとしても、青く静かな孤高の炎で。他人を巻き込み傷つけることは絶対にない。かつて、その凛とした孤独美を心から愛した自分がいたことを懐かしく思い出していると、タクシーが左に曲がったのを感じて、大輝は窓の外へと視線を送る。

西麻布の交差点の一つ手前の細い路地。一方通行の暗闇を進んでいくタクシーが、もうすぐともみの待つSneetに着くと思うだけで、自然と心が晴れていくようだった。

大輝が宮本からのメッセージを受け取る1時間ほど前/映像監督・門倉崇


宮本から打ち合わせの開始時間をずらせないかと打診があったが、その日は予定が詰まって無理だと断った。本当は調整が可能だったけれど。

「宮本くんが来るまで、先にはじめとくよ。大丈夫、友坂くんを不要に攻撃したりしないから安心して」

崇がつい昨日の出来事を笑いに変えると、宮本はホッとしたようにノリを合わせた。

「頼みますよぉ~イケメンだからってあんまりイジメないでくださいよぉ」
「失礼だな。イケメンを妬む体力なんてないよ」

崇が返すと、そりゃそうだ、監督も十分イケメン枠ですからね~、と宮本が笑う。

「監督もモテるもんなぁ。僕に、監督を紹介して欲しいって言ってきた女の子の数、もう数えきれませんもん。既婚者でも奪い取るってタフなハートの持ち主もいたから、気を付けてくださいよ。あることないこと言いふらす怖い子もいますからね」

怖い子。何気ない宮本の言葉に、胸がザラつく。久々に思い出してしまったからだ。キョウコが離れるきっかけになった、あの、長坂美里(ながさかみさと)のことを。

― 大丈夫、もう過去の人だ。

美里は、崇の愛人だと名乗ってキョウコに手紙を送った。けれど事実は酒に酔わされた崇が朝目を覚ますと、美里が隣に寝ていた、というもの。崇には関係を持った自覚がないまま、弄ぶなんてひどいと騒がれ、2人で寝ている写真も撮られ、それは崇の方から美里を抱きしめ、組みしいているように見えるものだった。不倫でもいいから自分と付き合ってくれなければ、世間にはセクハラで弄ばれたと訴えるし、キョウコにも危害を加えると脅された。

― オレの自己保身、と言えばそれまで、だが。

その時、崇には5年先まで作品が決まっていた。中には半年後に公開を控えたハリウッドの作品もあった。そんな時期に監督のセクハラが噂になれば、たとえ裁判にしたとしても決着がつくまで“疑わしきは有罪”だ。公開は中止、違約金も膨大。保身だけではなく、全ての関係者に迷惑がかかることを避けたかった。

それに狂気をはらんだ美里は何をするか分からず、物理的にキョウコを攻撃する恐怖もあった。だから一旦、美里の提案を受け入れたふりをして、美里の側にいることにした。もちろんその間一度も関係をもたず、時間をかけて美里を説得するつもりで、納得してもらう方法を弁護士にも相談していた。


けれど、キョウコに3度目の離婚を切り出された時、キョウコの本気が違っていた。「裁判に持ち込んででも離婚をしたい」と言われ、これ以上誤魔化せば、最愛の妻を永遠に失ってしまうと、それが何より怖いことに気づいた。全てを失っても、キョウコを失うことだけはできない。そんなことは分かり切っていたはずなのに。

そしてキョウコに事実を伝えた。愛しているのはキョウコだけ。美里には脅されていたのだと。

― 遅すぎた、けどな。

「もう、あなたのところには戻れない」

瞳を濡らしながらも、キョウコはきっぱりと言った。

「もう、あなたのせいじゃない。これは私の問題なの」

初恋に落ちた。焦がれる恋を知ってしまった、のだと。キョウコの薄い唇が、ハスキーな落ち着いた声が、その言葉を刻んだ時の、あの残酷な衝撃。

確かに崇とキョウコの関係は、映画作りの先輩と後輩として始まった関係で、一方的に恋をしたのは崇だった。けれど恋人同士になり結婚し、共に過ごしていく日々の中でキョウコなりに崇を愛してくれていたと信じていたのに。

けれど、最愛の人の“初恋”は、自分ではなかった。そう告げたキョウコの瞳が、まるで10代の少女のように清く透き通っていたことを、崇は憎しみと共によく覚えている。その後崇は探偵を使い、キョウコの初恋が大輝だということを知ったのだ。

そういえば美里はどうしているのだろうか。キョウコに話した、もう脅しにはのらない、訴えるなら訴えてくれていいと伝えに行った時、発狂されることを覚悟していた。

けれど美里は最初こそ泣き喚いたものの、突然、すぅっと全てを悟ったかのように落ち着きを取り戻すと、「おっしゃっていることは理解しました」と言い、その数日後には崇が彼女のために借りていた部屋を出て行った。

それがもう1年以上前。当初は心配でキョウコにも身辺に気を付けるようにと言い続け、キョウコが1人で暮らす自宅の周りには密かに警備をつけていた。けれど危害を加えられることもなく、世間に暴露もされていない。

その静けさが不気味で、崇が再度探偵を使うと、どうやら美里は四国の実家に帰ったということが分かり、同じく探偵からの報告で、大輝とキョウコが別れたと知った。そして今、大輝には新しい恋人がいるらしい。

初恋は実らないという迷信に、崇は感謝した。ならば傷心のキョウコに寄り添い、ゆっくりと生涯のパートナーのポジションを取り戻せばいい。その時間ができたはずだった。だが。

― 嫉妬とは本当に厄介なものだ。

キョウコの初恋を奪った友坂大輝に興味を持ってしまったのだ。会わなければ良かったと思った時には遅かった。大輝はただの美しい男ではなかった。一生働かずとも暮らしていける環境に生まれ落ちながら、書く喜びに目覚め、恐れしらずにも、自分達夫婦と同じ業界へ足を踏み入れてきた、新しい才能。

その才能に可能性を感じるからこそ。

― つぼみのうちに、摘む。

けれど分かりやすい方法はナンセンスだ。まずは…大輝を信用させることからはじめなければならない。幸い時間がある。作品が完成されるまではたっぷりと。



― 花が咲いたみたいだ。

Sneetのドアを開けた大輝に気づいたともみの微笑みに、大輝は思った。青空の太陽を求めて咲き誇る大輪の花ではなく、月光の元で開く夜行性の秘花。吸い寄せられるように近づくと、まずその髪に、ただいま、とキスを落とす。

「お前の家じゃねーだろ」

ミチの突っ込みに「ミチさんっていつもオレにだけ厳しくない?」とおどけながら、ともみの手元のグラスをのぞき、同じものをと注文する。

「いいのか?それ、マッカラン・クランベリーだぞ」

大輝があまりアルコールに強くなく、甘さも苦手だと知るミチの気遣い。感謝しながらも、大輝は大丈夫だと頷く。

「ともみがマッカランなんて珍しいね。なんで?」

「……なんとなく?」

そっか、とそれ以上は聞かず、隣に並ぶ。ともみが言葉を濁す時は、TOUGH COOKIESの守秘義務が関わることが多いからだ。

「一杯だけ飲んだら、今日はもう一緒に帰りたいんだけど…いい?」

甘えるようにのぞき込むと、ともみは目を泳がせて小さく頷いた。いまだに愛情表現に慣れないツンデレっぷりがかわいくて、手をとりその指先に口づけると、ともみの体がほんの少し強張った気がして、違和感を覚えた。

「…何かあった?」
「なにも、ないよ」

そう言いながら、ともみの視線が微かにミチへと動いたことに大輝は気づいた。

「…ミチさん…?」
「あ?」
「ともみに…なんかした?」

自分でもいやになる。だが大輝は、愛する女性のことになると敏感すぎるのだ。

「するわけねえだろ」

氷を削りながらのミチの返答はあっさりとしたものだったが、ともみの視線がわずかに泳ぎ、その指先がグラスに食い込んだことに、大輝は気づいてしまった。


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No Name
だからともみをからかうつもりでもあんな事しちゃダメだったのに。まぁ女子なら誰でも同様するね、恐るべきミチの魅力。  あと監督さん、大輝潰すとか止めとけって。
2026/04/21 05:348Comment Icon1
No Name
メグミチ、頻繁に連絡取り合ってるようで安心しました。
2026/04/21 06:048
No Name
大輝…敏感🥺 でももう、ともみはルビーがミチを好きだと知ってしまったし、フェロモンにやられたけれどその後どうこうはならないと思う。ならないと信じたい。何よりルビーに傷ついて欲しくない。あ、その前にルビーママ生きてるか心配。
2026/04/21 06:027
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TOUGH COOKIES

SUMI

港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。

女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが

その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。

心が壊れてしまいそうな夜。
踏み出す勇気が欲しい夜。

そんな夜には、ぜひ
BAR TOUGH COOKIESへ。

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