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SPECIAL TALK Vol.135

~日本随一の「応援のプロ」として、テニス界と日本を励まし続けたい~


「世界に挑戦する」が、当たり前の時代になった


金丸:松岡さんのお母様は元宝塚、お父様は東宝の元トップで、遡れば阪急東宝グループの創設者の家系。まさに『華麗なる一族』ですよね。

松岡:でもそういう意味だと、父はあまり表に出るタイプではないし、人との付き合いもそれほど多いほうではなかったです。

金丸:松岡さんとは真逆ですね。ビジネスの世界にも当然いろいろなリスクがありますが、テニスプレーヤーの道を選ぶというのも、リスクのある挑戦ですよね。

松岡:ただ、一か八かという感覚はなくて、ダメだったときに別の道にも行けるように、というのはいつも考えていました。慶應義塾高校から、テニスが強い福岡の柳川高校に移りましたが、例えばインターハイで優勝すれば、志望する大学から推薦をもらえる可能性が高まる。もともと父とも「そこで戻る」と約束していました。

金丸:だけど、元の道には戻らず、高校の途中で海外に行かれたんですよね。そして、そのままプロに。

松岡:ジュニアの国際大会でいい成績を残せたり、素晴らしいコーチとの出会いがあったり。もともとはアメリカの高校を出て、そのまま向こうの大学に進学するつもりだったのが、プロの大会に出場したら結果が出て。どこまで通用するかはわからないけど、プロとして挑戦してみようと思いました。

金丸:リスクヘッジはしていたけど、結果が出たからプロに。決断を迫られる瞬間が何度もあったと思いますが、自分の未来は自分で決めてきたという感覚はありますか?

松岡:あります。もっとも、自分がプロになるなんて考えてもいなかったので、運の賜物です。

金丸:運だけではなく、実力があってこそだと思いますよ。ところで、松岡さんの時代って、日本の選手が海外に出ていくのは珍しかったんじゃないですか?

松岡:ほとんどいませんでしたね。当時はちょうどテニスブームで。

金丸:ジミー・コナーズ、ビヨルン・ボルグ、ボリス・ベッカー。日本人にも人気でしたね。

松岡:おっしゃる通り。そういう時代だったから、日本でもテニス自体に人気があって。国内大会で全国を回って暮らしていけました。

金丸:わざわざ海外に行かなくてもよかった時代なのに、松岡さんは果敢に挑戦されました。現役時代は、グランドスラム(テニスの世界4大大会)だとウィンブルドンのベスト8が最高でしたよね。

松岡:そうです。キャリア最高が世界ランキング46位。でも、冷静に考えると、大会のベスト8って運があれば行けちゃうんですよ。

金丸:それはないでしょう(笑)。

松岡:いや、僕はドロー(トーナメント表)がよかったから行けた、と本気で思っています。その点、錦織 圭選手は世界4位まで行ってますから、運頼みではない本当の意味で実力です。

金丸:今、世界ランキングの100位以内に日本人は何人いるのですか?

松岡:一時期4、5人がランクインしていましたが、今は2人ですね。でも、ランクインするだけでもすごいことなんですよ。今、日本のスポーツ界で大きな変化が起きています。「自分が世界で活躍している」というイメージを、日本人選手が持てるようになった。錦織選手、ゴルフの松山英樹さん、フィギュアスケートの羽生結弦さんたちには共通点があります。「世界でも勝てる」と思っている。漠然とではなくて、“思い切っている”ような感じがありますね。

金丸:どうしてそんな変化が起こったのでしょうか?

松岡:常識が変わったんでしょうね。僕らのときは常識が邪魔しちゃって、「無理でしょ」がスタートでした。だけど、いろいろな競技において海外で活躍する選手が出てきた。それを見て「なんだ、できるんだ」って。「日本人でもできる」「世界に行ってもできる」。若い人は当たり前に、「自分もできる」と考えられるようになっています。

錦織選手をはじめ、子どもたちから多くを学ぶ


金丸:例えば野茂英雄さんがメジャーリーグに挑戦したとき、最初のうちは日本でもボロクソに言う人がいたじゃないですか。「通用するわけがない」「時期尚早だ」と。特に、プロ野球OBがひどかった。その人たちからすれば、アメリカに行くなんて考えもしなかったんでしょうが。

松岡:それが今や世界で活躍するのが、若い人にとっては当たり前。「メダルを取れなきゃ満足しない」っていうところまで来ています。スポーツだけじゃなくて、食も同じだと思うんです。フランスに行くと、星付きのレストランに必ずと言っていいくらい日本人のシェフがいます。勤勉さと感性があれば、どこでも成功できるんだろうなって。

金丸:そうですね。果敢に挑戦し、自分でドアをこじ開けたんですよね。現在、私は日本ハンドボール協会会長を務めていますが、競技のレベルを上げるために、海外を経験する日本人選手と海外から日本にプレーに来る選手を増やそうと取り組んでいます。

松岡:どちらも必要でしょうね。生で見ること、実際に体験することでしか得られないものがありますから。時代の変化というと、最近、テニス界はヤニック・シナーとカルロス・アルカラスの「ビッグ・ツー」時代に突入しています。

金丸:フェデラーやナダルの世代が長らく「ビッグ・フォー」と呼ばれていましたね。

松岡:先日、アルカラスが試合のために来日して、インタビューもさせてもらいました。彼の強打を僕は「稲妻フォア」と呼んでいます。見えないくらいのスピード。そして、チャンスではグリップを変えて、魔法のようなショットを打つ。パワーも感性も、これまでのテニスとは違います。

金丸:テニス界に新時代が到来しているということですか?

松岡:まさに。だから僕もジュニアに対する指導を、この新時代に合わせたものにしなければいけない。学びが多くて、すごく面白いです。

金丸:松岡さんは錦織選手がまだ若い頃に指導されたんですよね。

松岡:錦織選手と会ったのは、11歳のときです。彼のプレーを最初に見て、「僕がテクニックを教えちゃダメだ」って。

金丸:教えちゃダメ?

松岡:なぜかというと、「僕ならこうする」という動きや判断より、当時の彼の方がすでにレベルが上だったからです。

金丸:ええっ。とんでもない才能ですね。

松岡:錦織選手はほかの世界的なプレーヤーと比べると小柄ですが、ジュニアの頃から、いい意味で遊び感覚があって、感性に従って伸び伸びプレーしていました。一方の僕は、とにかく一所懸命頑張るタイプ。

金丸:それは日本人なら全員知っています(笑)。

松岡:一所懸命やってきたから今がある、には違いないんですけど、どうしても力みがある。正直、スポーツには向いていないんです。指導する立場になって、いろいろと気付かされたことはありますが、最初に教えてくれたのが錦織選手。彼からはたくさんのことを学びました。

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