22時の神楽坂通りを、煌々と照らす場所──。
それは、なんの変哲も無いありふれたファストフード店だ。
だけど、僕にとっては唯一無二の特別な場所なのだ。
学生時代に何度も過ごした、思い出の店だったから。
当時一緒に過ごしてくれた相手は、凪沙。早稲田の学生だった僕と、学習院女子大に通っていた凪沙。
出会い方までもが「友達の彼女の友達」というありふれたものだったけれど、このファストフード店がそうであるように、凪沙は僕にとってやっぱり特別な女の子だった。
「ねえ!充くんてさ、芸人のあの人に似てるよね。男ウケする感じの」
「ああ…よく言われる」
初対面の食事会。「また非・イケメンイジリか」と内心うんざりしていた僕だったが、初対面の凪沙が続けた言葉は僕にとっては想定外のものだった。
「だよね、カッコイイ!私、すごいタイプなの!」
「へ…?」
男子校から早稲田に進学し、ラグビー三昧。そんなむさ苦しい環境で過ごしていた僕にとって、女の子の方から「タイプ」と言われるなんて、初めての経験に決まっている。
すっかり舞い上がってしまった僕はどうにかこうにか凪沙をデートに誘い出し、その初めての場所が、このファストフード店だった。
イケメンではない上に、ラグビー三昧でバイトもろくにできず、金も無い。そんな僕の誘いを、凪沙はいつもニコニコと承諾してくれた。
当然グルメ情報だって何にも知らず、当時流行っていた『アバター』を見に行ったり、カラオケでAKB48や嵐を歌ったりしたあとは、いつだってこのファストフードにやってきた。
そして、本当に取るに足りないどうでもいい話をしながら、ただ一緒にいられることが嬉しくて…凪沙の門限ギリギリまでこの店で一緒に過ごしていたのだ。
でも…。
結局、凪沙との恋は実らなかった。
ラグビーが忙しくなったり、大手広告代理店に就職してみたら信じられないほど忙しかったり、いろんな要因があるけれど…。
要するに僕がチキンだった。それだけの理由だ。
いつのまにか連絡を取らなくなってしまった凪沙の情報を聞いたのは、2年前。ゼミの同窓会で大学を訪れ、例の凪沙を紹介してくれた友達から教えてもらった。
「凪沙は、ものすごく年上の人と結婚した」と。
その話を耳にしたのも、皮肉なことにこのファストフード店だった。
◆
「あーん、足痛くなってきたぁ」
「ほら、だから言ったじゃん。どうする?僕んちまでタクシー乗る?」
「うん…そうしよっかなぁ」
ニナちゃんの困り声で現実に引き戻された僕は、慣れた手つきでアプリでタクシーを呼んで、彼女をスマートに部屋へとエスコートする。
もしあの頃の僕が、今の僕ぐらいいろんなことをこなせていたら…何か変わっていただろうか?
車内でニナちゃんの手を握りながら自問するが、結局そんな不埒な質問自体を頭から振り落とした。女性の前で、他の女の子のことを考えるだなんて、失礼だからだ。
だけど…。
凪沙の結婚の話を聞いた時から、どうしても、僕の心にこびりついて離れない想いがある。
― 僕みたいなコドモじゃダメだったから、凪沙は年上の人と結婚したのかな。
窒息するような想い。これは、焦燥感だ。
もっともっと、成長したい。
もっと、もっと、男として上に行きたい。
『32歳という年齢は、男がようやく本質で勝負できる成熟した大人』。
ついさっき考えていた僕自身の言葉に、矛盾があることには我ながら気付いている。
シローさんに何も言えないな、と思ったら、無意識のうちに自虐じみた笑いがこぼれた。
「どしたの、充さん?」
タクシーの揺れのせいにして、ニナちゃんが僕の肩に頭をもたれさせながら尋ねた。ほのかな香水の香り。僕はなんのことかまったくわからないようなふりをして、答える。
「ん、別に?それより、次はどんなもの食べに行こうか?予約のなかなか取れないワインバー知ってるんだけど、一緒に行ってみる?」
そうだ。今の僕に似合うのはそういう店なのだ。
そういう店に似合うような男に、なるべきなのだ。
32歳。ファストフードに行くような年齢は、もうとっくに過ぎ去ったから。
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この記事へのコメント
なんか違和感…。