ともみは何も答えなかった。大輝は返事を待っていたけれど、しばらくすると苦笑いとともに、行くね、と立ち上がり…やがて玄関のドアが閉まる音がした。
― 鍵、閉めなきゃ。
そう思いながらも、ともみが起き上がれずにいると、枕元で携帯が着信した。大輝からのLINE。
『ちゃんと戸締まりしなよ。危ないから』
既読を付けずに携帯を投げ出そうとして、ともみはふと、今日の日付に気がついた。あと2ヶ月で28歳になる。そして…その数日後には店長を任されることになった新店舗のオープン日も控えているのだ。
― ボヤッとしてる場合じゃない。しっかりしろ、私…!
大輝と体の関係を持ち始めて、もう半年近くになる。恋愛感情なしの利害の一致、割り切ることを条件に始まったドライな関係なのだから、大輝が本当に愛している人が誰であろうと…。
― …どうでもいいじゃん。そもそもルックスが死ぬほどタイプってだけで始めた関係だし。
モヤモヤを跳ね飛ばすように飛び起き、玄関の鍵を閉め、その勢いのままに顔を洗った。
― ほら、私はかわいい。そして強い。だから…絶対に大丈夫。
鏡の自分ににっこりとほほ笑み、「私はかわいい、強い、大丈夫」と繰り返しながらスキンケア、そしてメイクをしながら気合を入れるのは、かつて…ともみがアイドルだった頃からの変わらぬ習慣だった。
◆
ともみは6年程前までアイドルグループに所属していた。それなりに名と顔が知られた時期もあったけれど、次第に売れなくなり、裏切り裏切られ蹴落とし合う日々の中である闘いに負けた。そして夢を手放し、芸能界から逃げ去った。
以来、半ば自暴自棄に暮らしていたけれど、思わぬことで西麻布の女帝こと光江に出会いそのパワーにほれ込んだ。そしていつか光江のようになりたいと、彼女の店で必死に働き2年の月日が経った今。光江がチャンスをくれたのだ。
「アンタを次の店の店長にと思ってるんだけど…」
西麻布の女帝が、Sneet以外に初めて店を出す。それだけでも話題の店になることは間違いないのに、その上なぜか、この辺りでは聞いたことのない女性専用のBARを作るのだという。
「やりたいです!」
すぐにそう答えたともみに光江は、なぜ女性だけしか入れないBARを作ることにしたのか…その経緯と理由、店の使命や目的などを説明した。
「…え?…ただのBARじゃないってことですか…?」
困惑したともみに光江はニヤッと笑って言った。
「だからこそ、さ。人を裏切り裏切られ、夢破れてどん底を経験したアンタに…この店を任せてみたいと思ったんだよ。…でもまあ、結果が出せなきゃクビだけどね」
◆
光江は、ともみに新しい店の名付けを任せた。そしてともみが考えた10ほどの候補案の中から、光江が目を留めたのは。
“TOUGH COOKIE”
― 悪くないね。
折れない、めげない、あきらめない、タフで強い女性。そうありたいというともみの願いそのもののようで。
光江は微笑みながら…COOKIEの最後にSを付けたし、複数形に変えた。
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▶登場人物の過去を知りたい方はコチラ:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…
この記事へのコメント
しかもゴットマザー光江さん出す新しいバーでのお話になるのかな? 次週が楽しみ。
読み応えのある連載が始まって嬉しいな〜、昨日の無駄に改行と読点が多い文章とは大違いw