結海と話しながら、女性とこんなふうに雑談をするのは、仕事相手や妹を除けば数年ぶりかもしれないと寿人は思う。
過去には、恋人が2人いた。
ひとりは、一橋大学在学中に知り合った女性で、社会人になって半年後、交際1年ほどで振られた。
2人目は、25歳のときに食事会で出会った女性。「他にいい人ができた」とすぐ振られた。
別れ話のときに、共通して言われたことがある。
「なんか、退屈で…」
以降、自信を持てなくなった寿人は、異性に苦手意識を抱えたまま生きてきた。
そして気づけば、32歳になっていた。
「あの、寿人さん。私、簡単なラーメンの材料を持ってるんです。食べませんか?ステーキのお礼には、まったく見合いませんが…」
「…なんと。いいですね」
「取ってきます!」
寿人は、結海の後ろ姿を呆然と見送る。そして我に返り、ダッチオーブンでお湯をわかす。
2分ほどで息を弾ませて戻ってきた結海に「カレー粉を入れてカレーラーメンにしませんか?」と提案すると、彼女は「最高ですね」と頷いてくれた。
グツグツと動くお湯の中にラーメンを沈めて、2人で並んで見守る。
「寿人さんは、どこに住んでいるんですか?」
「青山です」
「素敵。私は用賀です。…キャンプは、どのくらいの頻度で?」
「月に2回くらい。年中やってます」
「やっぱり。道具、充実してますもんね」
寿人のサイトには、上質なキャンプギアが揃っている。すべて1人用サイズ。誰かとキャンプをしたことはない。
― …でも、一人じゃないキャンプも、楽しいものだな。
結海が「そろそろかな」と言って、鍋にカレー粉を投入してくれる。透明のお湯が一気に華やいだ。
寿人の緊張は、もうだいぶほどけていた。
「そうだ、結海さん。一緒にホットラムはいかがですか?グアテマラのラムがあって、牛乳とよく合うんです」
結海は「おいしそう」と目を輝かせる。
温かいものを食べて、飲んで、たくさん笑って。満たされた気持ちで寿人がスマホを見ると、21時だった。
このキャンプ場のクワイエットタイムまであと30分だ。
「…もう、そんな時間ですか。寿人さん、本当にありがとうございました。おかげでポカポカになりました」
そして結海は「私、急いでお皿洗ってきますね」と立ち上がる。
「いやいや。いいですよ」
「でも…」
「僕が明日ちゃちゃっとやるので、気にしないで。代わりにその着火剤で、寝る直前まで温まってください」
「…お優しいですね。ご迷惑をおかけしたのに」
あんなに笑ってくれていた彼女が急に泣きそうな顔をするから、寿人は、どうしたらいいかわからなくなる。
結海は、最後に「連絡先とか…聞いてもいいですか」と言った。LINEの交換を終えると、何度もお礼を言いながら去っていった。
シンとした空気。
パチパチと、薪が燃える音だけが聞こえる。
少し遠くで、結海のキャンプサイトに小さく火が灯った。寿人は安心して、自分の焚き火を見つめる。
― …ほんと、楽しかったな。
予想もしない出来事だった。驚いた。
なのに説明がつかないことに、寿人は今、いずれ結海とまたキャンプをする日がくる気がしている。
それくらい、彼女との時間が自然だった。
― なんでだ?
“運命”。
空から振ってきたように、突如浮かんだ2文字。
― やめてくれよ。運命なんて、今さら。
苦笑いしながら、寿人は空を仰ぐ。
星は、黒い雲に覆われていて、よく見えない。
自分の白い息が冷たい空気に溶け込んでいくのを、寿人はただぼうっと眺めた。
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幸福な夜が明け、翌朝。そこにはもう、結海の姿はなく…
この記事へのコメント
誰かと繋がってるとかアオハルの登場人物が追々出て来たり?なら楽しみですね。