2024.11.20
東京レストラン・ストーリー Vol.38「『竹ノ下そば』…?え、こんなところにお蕎麦屋さん…?」
おずおずと階段を下りた先に広がっていたのは、ひっそりと落ち着いた、上品な空間だった。賑やかな外とは対照的で、とてもここが竹下通りのど真ん中だとは思えない。
製粉室と打ち場のある本格的な店の中を進み、奥のテーブル席へと通される。手前にある調理場からふわっとつゆと天ぷらの香りが漂い、エマの食欲をそそった。
「ね、エマ。何食べる?私は打ちたてと田舎の2種食べ比べにしようかなぁ」
「あ…えっと、じゃあ私も」
あっけに取られたまま抜け出せずにいたエマは、ヒナタのその言葉にしたがい同じものを注文する。
すると、ヒナタがメニューを広げながら嬉しそうに笑って言った。
「ここ、絶対エマ連れてこようと思ってたんだぁ。きっと気にいるよ」
「ふうん…どうして?」
「かつおだしを使わない動物性原料ゼロのおつゆとか、お野菜とかお豆腐とかのヴィーガン料理もあるんだよ〜。
エマ、いつも食生活にも気をつけてるし、お肉とかそんなに得意じゃないよね。会社のポリシー的にも、そういうの好きでしょ?」
「…そういうの、覚えててくれたんだ」
エマはふと、ヒナタとルームシェアをすることになった1年半前のことを思い出した。
立教大学に通っていたエマと、女子美に通っていたヒナタが再会したのは、小さな会がきっかけだった。
地元福井から、たまたま東京に出てきている仲間で、就職前に開いたプチ同窓会。そこで、「原宿のデザイン事務所に就職するから、近くに住みたいな〜」と言っているヒナタに、エマの方からルームシェアを持ちかけたのだ。
「ねえヒナタ!私も職場が表参道だし、そのあたりに住みたいと思ってたの。ふたりならけっこういい部屋に住めると思わない?私たちルームシェアしようよ」
正直に言えば福井にいた高校時代は、ヒナタとは別に特別仲が良いわけでもない。
エマの提案はあけすけに言えば、打算だ。
憧れだった、東京の原宿に住みたい。
洗練された生活が送りたい。
そんな野望を叶えるのに、ヒナタは単純に都合がいいと思った。
けれどヒナタは、そんなエマの打算など全く気づかない様子で、ただそばかす顔に温かな微笑みを浮かべて応えてくれたのだ。
「エマちゃん、一緒に住んでくれるの?わぁ〜嬉しい!
私、エマちゃんのことずっと、かわいいなぁ、努力家でかっこいいなぁ、仲良くなりたいなぁって思ってたんだ。よろしくねぇ」───
懐かしい記憶は、注文の品が配膳されたことで中断された。
「エマ、見て〜!綺麗だねぇ」
テーブルの上には、2種のお蕎麦が並んでいた。打ちたてと田舎の食べ比べ。
「ほんとだ、綺麗…」
きなり色のつややかな“打ちたて”ももちろんだが、特にエマの目を引いたのは“田舎”だ。
粗挽きにされた蕎麦の実が見て取れる、素朴な風合い。まるで、ヒナタのそばかすみたいだ。濃く深い色合いはいかにも健康的で、自然の豊かさそのものが伝わるようだった。
なんだか厳粛な気持ちになりながら、田舎蕎麦をひとくち箸で持ち上げる。ほんの数センチだけつゆにひたし啜りあげると、口から鼻へと溢れんばかりの蕎麦の風味が駆け抜けた。
「お…美味しい…!」
エマが日頃念入りに身に纏っているコスメや香水の香りが、洗練された都会の華やかさだとしたら、今エマの心に染み入るこの蕎麦の香りは、もっと根源的な、生命の力強さとおおらかさだった。
この香りを楽しむ時に、香水は邪魔にしかならない。素顔のままこの店を訪れた幸運に、エマは思いがけず感謝した。
しっかりと歯に伝わる食感も嬉しく、エマが夢中で蕎麦を食べ終えてしまうまでに5分とかからなかった。
途中で出された蕎麦湯を蕎麦猪口に注ぎ飲み干すと、体の中心からポカポカとしてくる。
ここのところ、メイクをしても、オシャレをしても、エプソムソルトのバスタイムでも得られなかった、ホッとするような温かさ。
心にも体にも栄養が染みわたるような感覚を得たエマは、ようやく答えに辿り着いた。
ヒナタに対する、どうしようもないイライラ。
その正体が他でもない、自信のなさから来る自己嫌悪だったということに。
― そうだ。ヒナタはいい子だ。いつだって私に優しくしてくれるし、自然体でいるだけ。ただ…
ただ、ヒナタがそのままの自然体でいればいるほど、エマは自分自身のことを惨めに感じたのだ。
周りに見劣りしないよう、努力して、背伸びして、無理をして───自分自身を忘れずにいることなんて、できやしない。
追い詰められながら、息を切らせながら生きているエマにとって、ヒナタの自由さは直視するには眩しすぎた。
認めてしまったら、自分自身を否定するように感じたのだ。
ヒナタのそばかすが、誰よりもチャーミングで、美しいということを。
田舎蕎麦のもつ自然本来の美しさで自分に向き合うことができたエマは、ヒナタに向き直る。
「ヒナタ、いつもごめんね。ありがとう」と、そう言おうとした、その時。
ヒナタの方が先に口を開いた。
「なんかさぁ、変なこと言うかもしれないけど。ここの“打ちたて”食べるとエマのこと思い出すんだよね。だから、一緒に来られて嬉しいなぁ」
「…え、ええっ?どこが??」
エマは、こちらが“田舎”にヒナタの姿を見たばかりだというのに、真逆のことを言われたことに動転した。
「うーん。白くて、綺麗で、甘みがあって、洗練されてて。それでいて強さがあって、努力してて…全体的に、かっこいいところ?うまく言えないや!
それよりさ。ここ、うちらの地元のお酒『黒龍』もあるんだよ〜。今日はランチだけど、今度は一緒に夜来たいよねぇ」
そばかす顔にニコニコと笑顔を浮かべながら、ヒナタがいつものようにとぼけた声を出す。
「…ヒナタ」
「ん?」
「なんか…元気でた」
「そっかぁ、よかった〜」
お会計を終えて階段を上ると、竹下通りのど真ん中に出た。
可愛いスイーツや雑貨屋、コスメの店などがカラフルな洪水のように目に飛び込み、エマの好奇心を誘う。
プチプラのコスメでも買って帰ろうか。でも、たまにはコスメや香水をの香りを纏わない日があってもいいかもしれない。お蕎麦の香りがわかるように。
そう思いながら、エマは小さな声で呟く。
「私、やっぱり原宿のこと好きかも」
またしてもヒナタが「そっかぁ、よかった〜」と、上機嫌に返事した。
▶前回:「え、ここって?」深夜の六本木。終電を逃した25歳女が男に連れて行かれた意外な場所
▶1話目はこちら:港区女子が一晩でハマった男。しかし2人の仲を引き裂こうとする影が…
▶NEXT:11月25日 月曜更新予定
しかし、レストランストーリーは人気連載なのにPR記事の下に埋もれていて危うく見逃すところでした!
来週から月曜の毎週更新になるのかな?楽しみ♡
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