いくら電話してもつながらず、LINEをしても既読にならない。家の中で何度も何度も逡巡した。実家に帰ったのかもしれないし、友達の家かもしれない。同棲して3ヶ月。実家の連絡先は聞いておくべきだったと猛省した。
部屋に手掛かりはないかと、キッチン、洗面台、そしてウォークインクローゼット。ありとあらゆるところをかき回してみたが、手掛かりらしいものはまるでない。
でも次第に冷静になり、会社のパソコン以外の荷物はあったので、家を出ていったわけではないのだ。そう考えると少し安心した。
彼女に会ったのは、ちょうどいまから半年前。僕が勤めている広告代理店に転職してきた愛莉が、友達を紹介してあげる、と連れてきたのが南帆だった。
一目見た瞬間、「きれいな人だな」と思った。背が高くて、特に指先がきれいだ。顔のパーツはすべて小さくてきれいにまとまっていて、派手さはないが、街で見かけたら目で追ってしまうかもしれない。
つまりは、僕のひとめぼれだった。
そこから何度かデートして、彼女の家の更新とともに同棲をスタート。彼女は驚くほどに口数が少なく、それがとても気楽だった。
広告代理店の営業という職業柄、家でも客先でも明るく振る舞っているが、家では無口なほうだし、静かにしていたい。でもそれが恋愛では、マイナスに響くことが多く、「付き合うと静かでつまらない」と振られたことも何度かある。
だから、南帆といると自然体でいられた。無理してしゃべらない、阿吽の呼吸。そんな関係性が、僕のなかではとても居心地がよかったのである。
でも。それにいつしか甘えてしまっていたのかもしれない。
彼女は人に迷惑をかけるのも、波風を絶たせることも、極端に嫌う。だからこそ仕事は自分で段取りを組んで完璧にこなし責任感も強いようだが(これはリモートワーク中の彼女のミーティングをしている姿を見ての感想だ)。
同棲を始めてから、最初は僕もよく料理をしていたのだが、「自炊はしてこなかった」と言っていた割に彼女は器用で料理がうまく、最近はまかせっきりになっていた。
― そういえば……。
僕は、ウォークインクローゼットにある、彼女の本棚に向かう。彼女は読書が好きで、たくさんの本が家にある。そこになにかヒントがあるかもしれない。
ウォークインクローゼットの上にある本棚は奥行きが深く、本が2列になっている。奥側の本を手にやると、そこには大量の料理本があった。
『料理の基本』
『彼が喜ぶ神レシピ100選』
……彼女は難なく料理をしているように見せて、実は悪戦苦闘していたのかもしれない。そう思うと、鼻の奥がつんとした。
そのあと愛莉に電話をするとこっぴどく叱られ、南帆はいま湯河原の温泉旅館にいる、と聞いた。
◆
翌日、僕は湯河原を目指して車を走らせていた。彼女が今回の一件をきっかけに別れを考えているかもしれない。その不安が胸の奥で重くのしかかり、早朝から宿の近くで彼女を待つことにした。
8時55分、南帆が宿のエントランスから現れた。見慣れた彼女の姿を見つけた瞬間、自然と彼女の前に歩み寄った。
「どうしてここがわかったの?」
「愛莉から聞いたんだ」
「もう、愛莉にはなんでも話しちゃうんだから」
南帆は少し笑ってみせたが、その瞳にはまだ戸惑いが残っていた。
「亮平、話したいことがあるんだ」
緊張が走る。もしかしたら、今こそ彼女から別れ話をされるかもしれない、と考えると心がざわめいた。
この記事へのコメント
火曜はずっと「読める小説ゼロ曜日」だったから。