30.5歳~女たちの分岐点~ Vol.10

テレ朝アナ当時の前田有紀は「自分が空っぽに思えた」。5年悩み続け退社、起業家への“可憐”なる転身

「30.5」歳、それは女性がキャリアチェンジする平均年齢。

これからの人生をどう生きるかを考える、大きな分岐点といっていいだろう。

本連載では、今活躍中の女性たちに30.5歳のときに何に悩み、決断し、どんな行動をしていたのかをインタビュー。そうして人生がどう変わっていったのかを深掘りしていく。

今回は、元テレビ朝日のアナウンサーで、現在フローリストとして活躍する前田有紀さんが登場。

前田さんは数百倍、数千倍という狭き門を突破してアナウンサーになっただけでなく、エースアナとしてスポーツやバラエティー、ニュース番組など多方面で活躍。しかし32歳の時に10年勤めた会社を辞め、イギリスへ留学している。

彼女にとって「30.5歳」は、まさに人生の一大決心をする“夜明け前”。当時の率直な気持ちと、そこから一歩を踏み出せたきっかけを語ってもらった。


取材・文/辻本幸路


▶前回:医師・大学院生・母、3足のわらじを履く32歳女性。「子どもが欲しい」から導き出したキャリア形成論

今回、お話を聞いたのは前田有紀さん


1981年生まれ。神奈川県出身の43歳。株式会社SUDELEY(スードリー)代表取締役。

2003年、慶應義塾大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして新卒入社。2013年、イギリス留学のため退社。コッツウォルズ・グロスターシャー州の古城で見習いガーデナーとして働いた後、都内のフラワーショップで3年の修業を積む。

2018年に移動販売などを行うフラワーブランド『gui(グイ)』を立ち上げ、2021年に実店舗『NUR flower(ヌア フラワー)』を東京・神宮前にオープン。現在は店舗運営やイベント装飾のほか、ワークショップ、コンサルティング「好きを仕事に研究会」も開催している。

プライベートでは7歳と3歳の男児の母。

●INDEX

1.多忙を極めた20代後半、自分が空っぽに思えた

2.180度違う世界に飛び込み「こっちの方が自分らしい」

3.“他人軸”で幸せは得られない。“自分軸”の目標を見つけて


レギュラー番組多数でも自分の中身は空っぽに思えた


―― テレビ朝日を退社されたのが2003年、32歳の時ですね。

新卒入社したテレビ朝日には、丸10年勤めました。20代で転職する人は多いですが、私は割と長くいた方だと思います。


―― 確かにそうですね。そこまで長くいた会社を辞めると決意したのは、何かきっかけがあったんですか?

これ、という理由がひとつあるというより、他のことをやってみたいという気持ちがどんどんバケツに溜まっていって、溢れていった感じに近いかもしれません。

10年間を振り返ると、テレビ朝日に入社した最初の数年はとにかく仕事についていくのが精いっぱいだったんですが、5年経った頃からだんだんと視野が広がって、自分の暮らしも充実させたいと思うようになっていきました。

具体的には自宅にお花を飾る機会が増えていって、もともと自然が大好きなんですけど自然に関わる仕事っていいな、と思うようになっていきました。


―― 他にもアナウンサーの経験から何か影響を受けたことはありますか?

幸いなことに社会で活躍されている方や一流アスリートの方に話を聞く機会が多かったんですね。みなさん“好き”を起点に仕事にされているから、目が輝いているんです。

彼らにマイクを向けているうちに、自分も好きなことで人生を変えてみたいという気持ちが高まっていったというのもあります。

だけど同時に、自分が本当に大事なものは何だろうと考えると、当時の自分の中にはないような気もしていて。焦っていた気がします。


―― なるほど。30.5歳はまさに悩みのど真ん中だったんですね。

そうなんです。だから仕事の日はアナウンサーをしながら、休日は面白そうなことをいろいろ試してみた時期でしたね。

料理を習ったり、ヨガ教室に通ったり。でもだいたいは続かなくて、唯一、お花に触れることだけはずっと変わらず心が動き続けたんです。

本当に好きと思えたし、これを一生仕事にできたら素敵だなと、この頃にははっきり思うようになりました。


―― ヨガも料理も、最初は楽しいとか好きとかという気持ちから始まったと思うんですが、お花は何が違ったんですか?

ヨガも料理も楽しみのひとつだったんですけど、一生やっていきたいことか、仕事にしたいかと考えると、これらは趣味でしかないのかなという気がしていました。

でも、お花は違った。私自身は都会で育ちましたが、子どもの頃から自然に強い憧れがあって。

母の実家の鳥取に行くのも大好きでしたし、高校時代は手つかずの自然が見たくてひとりでモンゴルに行ったこともありました。絵本や映画の中で描かれている自然も大好きだったんですよ。

さらに会社員時代は深夜に出社したり明け方に帰宅したり。自然な生活とは正反対の暮らしをしていたので、部屋に飾っていたお花がゆっくり咲いてゆっくりしおれていく自然な時間の流れに、とても癒やされていたんです。

いつもいる社会とは違う位置から自分を見つめ直せる、自分の心の声に気づける時間でした。


―― とはいえ大企業を辞めることへの不安はありませんでしたか?

はい、とても長いこと悩みました。

それこそ親からは「せっかく入れた大きな会社なんだから、かじりついてでもいた方がいいんじゃない?」って心配されましたし、自分でも転職は現実的ではないような気がして、27~32歳の5年くらいはずっと悩んでいましたね。


―― しかも局の看板アナウンサーとして活躍されていた時です。キャリアを手放すことにも勇気がいったのでは?

いやいや、全然そんなことは…。むしろ私は話すのがうまくない方だったので、先輩や同僚と並んだ時に、力不足であることをいつも痛感していて。

台本を読んで、それを想像して“伝える”ことは叩き込まれてきたけれど、自身の知識・経験不足から、私ならではの意見が見つけられず、どこか自分が“空っぽ”という感覚があったんです。

楽しくお仕事はさせてもらってはいたけれど、絶対に間違えてはいけない言葉を正しく読む場面では緊張もすごくするし、得意だとは感じられなくて。

私にとって、話すことが果たして一番の仕事なんだろうか…という葛藤がありました。


―― 理想のアナウンサー像とのギャップはありましたか?

振り返るとアナウンサー時代の10年間は、その都度目標設定をして、それをクリアすることが働くモチベーションになっていました。過去に失敗で迷惑をかけた方に恩返しをしようとか、こんな番組を手がけてみたいとか。

ですが、最後の2〜3年は目標を設定することも、目標に向かってエネルギーを持って働いている自分の姿を想像することも難しくなってしまっていました。

じゃあアナウンサーじゃなかったらどうだろうと、社内の他すべての部署への異動も検討してみたんですが、他の部署でもやっぱり想像できなくて…。

だったらもう会社の外に出てみよう、チャレンジしてみようと決心したんです。




テレビ朝日系列で放送されていたサッカー情報番組『やべっちF.C.』に、たった入社6日で初出演して以降、スポーツやバラエティー、ニュース、ドラマ、ラジオ…と、局のエースアナウンサーとして引っ張りだこだった前田さん。

トレードマークのニコニコ笑顔からは想像がつかないが、まさに30.5歳ごろ、大きな悩みを抱えていたのだ。

そして葛藤の末に32歳で新たなスタートを切ったわけだが、そこでは思いがけない落とし穴があったという。その内容とは一体?


【30.5歳~女たちの分岐点~】の記事一覧

もどる
すすむ

おすすめ記事

もどる
すすむ

東京カレンダーショッピング

もどる
すすむ

ロングヒット記事

もどる
すすむ
Appstore logo Googleplay logo