社員を雇い始めてからは、彼女たちの人生が自分の手にかかっているという事実が重くのしかかってきた。
事業だって、常に順調だったというわけではない。コロナの影響で一時売り上げがガクンと落ち込んだこともあったし、取引先に急に手の平を返されることも幾度となくあった。
中でも一番辛かったのは、「女だから」と言う理由での苦労だ。
あれは、知人から紹介されたエンジェル投資家の男性が、私の立ち上げたサービスに非常に興味を持ってくれたとき。
― このご縁は何としてでも掴みたい…。
そう感じた私は必死に自分の熱意を彼に伝え、幾度となくプライベートで食事に行ったのだ。
けれど、彼が最終的に言い放った言葉は、衝撃的なものだった。
「ごめんね。俺、女には融資しないんだ」
ただただデート相手が欲しかった彼に、私は都合よく使われていただけだったのだ。
時代錯誤甚だしい考えでも、投資するか否かの判断は個人の自由。
のちに、彼は起業したばかりの男の後輩に融資していたと知って、愕然とした。
…それでも、私は社長だ。
これくらいの苦労、乗り越えて当然。そう自分を鼓舞して、一緒に社員も鼓舞して、頑張った。
チープな話かもしれないけれど…、
― 苦労を乗り越えた先にはきっと明るい未来がある!!
そんな風に希望を捨てずに、我武者羅に働いた。
そして、無我夢中で働きつづけたある日、突然にそれは起こった。
「私たち、もう社長にはついていけません」
社員3人が揃って、私に直談判してきだのだ。
彼女たちはずっと前からアラートを上げていたらしい。何度もそれとなく、私に警告していたらしい。
けれど、仕事に夢中だった私にとってそれは、青天の霹靂だった。
なんとしてでも会社を大きくしてやる!
そのためなら苦労は厭わない!!
働きまくる!!!
そんなガッツを、彼女たちにも当たり前に押し付けてしまっていたのだ。
「ごめんなさい…そんなつもりじゃなかったんだけど…。どうしても、この事業を大きくしたくて…」
「そう思ってるの、社長だけですよ」
「…」
「この事業が、会社が大きくなって、私たちにどんないいことがあるんですか?」
「…」
「そりゃ、社長は儲かって有名になるかもしれないですけど。私たちにはどんなメリットがあるんですか?」
ぐうの音も出なかった。
必死に待遇改善案を考えてみたりもしたけれど、一度失った信頼というのは取り戻せない。
私は社員を失った。
◆
それから、私はさらに必死に働かざるを得なくなった。そして気づくと、どんどんオス化していく自分がいた。
常に感じるプレッシャーのせいか、肌荒れは慢性化。ひどいときはファンデーションを塗るだけでヒリヒリする。些細なことかもしれないが、肌荒れは、人の気分を大きく沈ませる。
徐々に男性ホルモンが強くなったのだろうか。心なしか鼻下の産毛が濃くなっていたときには、さすがに自分でも危機感を覚えた。
気づけば、起業当初から恋人はおろか、まともにデートすらしていない。ときおり声を掛けてくれる男性はいるけれど、仕事が脳内構成比の99%を占めている今、誰かを好きになれる気なんてしなかったのだ。
けれど、社長として人前に出ることも多いし、ビジネスにおいては見た目もとても重要。
自分を綺麗に保つことも仕事の一環だと思い、美容には時間と費用を惜しまなかった。結果、自分の給料と休みは、レーザー治療や医療脱毛などの美容に消えていくだけだった。
◆
「あ…、また濃くなってる…」
今日も私は、深夜のオフィスの洗面所で、自分のアゴあたりの産毛をまじまじと見つめる。
― 私、なんで起業したんだっけ…。
シェーバーで産毛を処理しながら、ふと、そんなことを考えることが多くなった。
果たしてなんのために起業したのか。
この苦しみはいつまで続くのか。
答えのない自問自答がぐるぐると脳内を駆け巡っては、ため息が漏れ出る。
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何もかも、恵まれすぎた男
この記事へのコメント
読めて次のページに行こうしてもまた開かず、朝からイラッとしてしまった。
あの金曜のやたらつまらない年収8桁女連載と被る〜。せめて、あちらの連載が終了したタイミングの方が良かったんじゃ?? でもまぁ、こちらの連載の方が面白くなりそうかな、期待てます。