「ママ、遅いよー!」
「ごめんね。ちょっと息切れしちゃって…」
そう言って麻紀は無意識に、少しだけふっくらとしたお腹に右手をそっと添える。
「麻紀、大丈夫?海、ママはね、お腹に赤ちゃんがいるから疲れやすいんだよ」
「そっかぁ。赤ちゃん、お手やわらかにね!」
突然大人びた言葉を使う海を見て、麻紀と寛人は一瞬互いに目を合わせると、大きな声で笑い合った。
「海、そんな言葉、よく知っていたね」
「にひっ、そうかな!」
つられて海も一緒に笑う。
― 最近、本当に家族みんなで笑うことが増えたな…。
麻紀はふと、自分の会社を立ち上げる前のことを思い出す。
生まれて1年も経たずに保育園に入った海は、当初、2週間に一度は風邪をもらってきて休むことを繰り返していた。
広告代理店でマーケティングプランナーとして忙しく働いていた麻紀。度重なる子どもの発熱で早退しがちになり、同僚からの理解も得られず、仕事を続けることが難しいと感じるようになったのだ。
夫も多忙な時期がちょうど重なってしまい、どちらがお迎えに行くか、面倒を見るかなど、けんかが増えるようになっていたのだった。
2人は話し合い、麻紀は会社を辞めた。そして、ひそかな夢であったベビー用品の会社を立ち上げ、ある程度時間に融通を利かせられるようになったのだ。
夫にも仕事を調整してもらい、病児保育なども利用して、なんとか育児と仕事を両立させている。
「私、本当に幸せだなぁ」
「どうしたの、急に。でも…本当にそうだな」
パパとママになっても、寛人はこういうとき、きちんと麻紀の目を見て優しく微笑む。目尻に少しできるシワには、愛情のしるしが刻まれているようだった。
◆
その夜。
海を寝かしつけたあと、麻紀はいつものようにイタリア製の白い革のソファに座り、スマホからInstagramの自社アカウントをチェックする。
― 今日だけでフォロワーが23人も増えてる!コメントも最近多くなってきたな…!
3ヶ月ほど前、昔の知り合いから女性誌のワーママ特集に出てくれないか、と頼まれていた。
様々な分野で働くママを取り上げた企画で、半ページほどのスペースに簡単な本人紹介と、手がけた商品やサービスについて掲載するそうだ。
麻紀の会社はまだ成長途中ではあるが、いくつかのヒット商品を生み出し、それなりに売り上げも上げている。
現在はまだ数人しかいない小さな会社だが、将来はもっと社員を増やして有名にしたいと考えているのだ。
― 会社の良い宣伝になるし、絶好のチャンスよね。
そうして快く取材を引き受けた雑誌が、数週間前に発売された。その影響なのか、最近、会社のSNSのフォロワーも徐々に伸びてきたのだ。
コメントの数こそ多くはないが、大半が商品を褒める言葉で埋め尽くされている。
『他にないデザインと心地良い肌触りが気に入り、友人の出産祝いにも購入しました!』
『おくるみ、可愛くて見た瞬間ポチりました!』
― 良かった…!デザインにこだわった甲斐があったな。あの時は、工場の人と何度も交渉したけど、正解だったな。ん…?
麻紀が気分良くスマホを眺めていると、あるコメントを見つけ、手が止まった。
この記事へのコメント
・2人目がほしいができない
・姑が育児に口出し、麻紀の商品が欲しくても買えない
・母親になった途端旦那に浮気されたか、旦那がモラハラDV男で家庭が崩壊している
この辺かな