唯との出会いは、経営者仲間の上場祝い。
広尾の豪奢なマンションで開かれた、いまでは考えられないくらい賑やかなパーティだった。
モデルのような女性たちがたくさんいる中で、唯は一番地味なのに、一番目立っていた。
艶やかな黒髪に、かたちのいい小さな鼻と紅い唇が特徴的な顔立ち。
華やかに着飾った女性たちとは違い、白いざっくりとしたニットに細身のパンツというシンプルなファッションだったが、アクセサリーは高価そうな珍しいデザインで、それがひと際彼女を輝かせていた。
興味をそそられ話しかけてみると、言葉遣いがとても美しく知識が豊富な女性だった。
聞けば大学院で経済学を学び、博士号までとったと言う。
パーティの間ずっと、正輝は彼女の隣にいた。
そして会の終わりに、自分からほとんど口を開かなかった彼女が、正輝の目をじっと見てこう言った。
「初対面でこんなこと言うの失礼かもしれないんですけど…。正輝さんすごく盛り上げ上手だけど、本当はこういう場、あまりお好きじゃないんじゃないかなって思いました」
彼女に"落ちた"のは紛れもなく、この瞬間。
男なんて、単純な生き物だ。
妻でもない、ひと回り以上も若い女性に、社会的にそれなりに成功している自分の本性をずばりと言い当てられるなんて―。
気づいたら正輝は、彼女にぞっこんだった。
◆
「神林様、こちらのジャケットはいかがでしょうか?少し明るいお色ですが、先日ご購入いただいたシャツとお似合いかと思います」
南青山にある行きつけのセレクトショップで、やけに顔立ちが整っていて腰の低い男の店員(正輝の担当らしい)が、満面の笑みで近づいてきた。
「唯、これどう思う?」
「素敵だと思う。隣にあるスニーカーもいいわね、試着してみたら?正輝さんのスニーカー姿、見てみたいわ」
唯の言葉に、思わず「じゃあ全部試すかな」と言うと、その店員はすぐに試着室のカーテンを開けた。
少し若作りしすぎかなと言いながら外に出ると、彼女は「まぁ」と感嘆のため息を漏らす。
「ジャケット、素敵よ。スニーカーは見慣れないけれど、新しい挑戦ね。正輝さんならきっと履きこなすわ」
正輝は鏡に映った自分を見ながら、その言葉を噛み締めた。
「俺ばかり悪いから、唯、何か試着したら?」
素っ気なさを装いながら言うと、店員は「待っていました」と言わんばかりに、深いブルーのファーコートを持ってきた。
彼女自身、着飾ることにはまるで興味がないという感じなのだが、それがまた正輝を駆り立てる。
「この靴も合わせてみたら?」
正輝は、向かいの棚に飾られていた繊細なビジューがあしらわれている靴を、店員に持ってこさせた。
それが嬉しいのか嬉しくないのか、彼女の表情からは、何も読み取れない。
―どんなものだったら、彼女は満足するのだろうか…。
心理学の本で読んだことがあるが、自分のことを分かってくれているはずの人に不安を感じると、人はどんどんその人に依存していくらしい。
いまの自分は、それにすっかり当てはまる。
結局、彼女はコートも靴も見事に着こなし、正輝は両方買うことに決めた。
「本日も、ありがとうございます」
TOTAL:1,070,000
店員が恭しく持ってきたレシートの金額をチラと確認し、正輝はぶっきらぼうにサインした。
この記事へのコメント
早く縁を切った方がいいけれど、正輝が唯に蝕まれているように、唯も佑真に蝕まれているんだね……。怖い……。