彼女と買い物すると、1回で大体このくらいの金額になる。
唯と付き合い出して半年。かなりの額を、彼女に投資しているのには間違いない。
正輝は、親から受け継いだ貿易事業をさらに拡大し、銀座に複数の不動産を所有している。だから痛くも痒くもない額なのだが。
買い物が終わり、いつもどおり2人の好きな鮨屋に向かおうとすると、彼女はやんわりとそれを制した。
「読みかけの本があって」
正輝はそれを聞いてがっかりしながら、唯が住む南麻布のマンションへハンドルを切った。
そのマンションは、彼女の両親が投資用に買った物件らしい。
それを聞いて正輝は、彼女もまた金持ちの娘で、だからこの洗練された美しさと教養があるのだ、と納得した。
マンションの前に着くと、いつも通り軽くキスだけして、「またね」と言って別れる。
実はまだ、彼女とはキスしかしたことがない。
そう言うと周りからは驚かれるが、それでも、正輝は唯と一緒にいたかったのだ。
唯:美しいものに囲まれて、暮らしたいだけ
正輝のフェラーリを見送って、唯は自分の家に戻った。
このマンションは、実はいま付き合っている“彼”に格安で住まわせてもらっている。
とてもじゃないけど、埼玉の中流家庭で育った唯が住める場所ではない。
正輝と会うために着ていたスキニージーンズを脱ぎ捨て(彼は女性が履く細身のパンツが好きだ)、冷たい水をなみなみとコップに注ぐ。
正輝とはここ半年くらい、こうして週に1回買い物したり食事に行ったりする関係が続いている。港区で遊んでいる経営者にしては珍しく紳士的で、いつも気前よく色んなものを買ってくれるいい人だ。
いまの“彼”とは、そろそろ終わりそうだった。
育ちのいい正輝とは違い、成り上がりの彼は、この不況下でいくつかの物件を手放さなければいけない、と話していた。
もしこの家を出て行けと言われたら、正輝は助けてくれるだろうか。
男に頼って生活する―。
世間一般では強く非難されることだろうが、この美しい住まいに、アクセサリー、洋服、靴。それらを手放す方が、唯にとってはよほど辛いことだ。
それに昼間はIT企業のマーケティング部で働いているので、住居以外は全て自分の給料で賄っているし、男性たちに買ってもらうのも洋服や靴ばかりで、流行りが過ぎれば価値のなくなるものばかり。
ぼんやりとそんなことを考えながら、ラフなニットに着替え、タクシーで江東区に向かった。
読みかけの本があるのは、本当だ。
でもそれがあるのが、自分の家じゃないだけで―。
◆
「おかえり。この位の時間かと思ったよ」
そう言って出迎えてくれたのは、昼間恭しく唯たちを接客してくれた店員である、佑真だった。
もちろん正輝はこのことを知らない。
正輝の誕生日の少し前に、佑真が「神林さんに何を贈ろうか悩んでいて」と連絡先を渡してきたのがキッカケだった。
彼の形のいい耳についているシルバーのピアスにそっと唇をあて、唯はまじまじと彼を見る。
薄い茶色の目をした、繊細で美しい顔立ち。
彼を初めて見たとき、唯はしばらく目が離せなかった。
「ねえ、今度藍染めの一点物のバッグが展示会で出るんだ。バーキン5個位の値段だけど、神林さんに案内しようと思って」
無邪気にそう話す佑真は、きっと自分を愛していない。
唯は昔から大人びた子供だった。
誰より成長が早かったし、人の心を掴むのが上手で、学生時代から男子生徒はもちろん、教師にまでモテた。
だけどどこか冷めたところがあって、男性がいくら自分に夢中になっても、唯の心は固く閉ざされたまま―。
だから26年間、恋というものを知らないで生きてきたし、それが楽だったのに。
唯は、彼のかたちのいい耳を優しく噛む。すると彼は唯の白い首筋を、激しく吸ってきた。
彼が自分を利用していることくらい、賢い唯は分かっている。
けれど人生で初めて抱くこの気持ちには…。
どうやら、抗えそうにない。
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この記事へのコメント
早く縁を切った方がいいけれど、正輝が唯に蝕まれているように、唯も佑真に蝕まれているんだね……。怖い……。