2020年3月14日:ホワイトデー
「七瀬、ごめん。俺、結婚したいと思うほどの気持ちの盛り上がりが無くなってしまった」
3月14日、ホワイトデー。
六本木の鮨屋で食事をした帰り道、彼氏・陽介(32)がボソリと口にした。
「…ん?どういうこと?」
「俺が悪いんだ…、本当にごめん」
いつも通りにデートを終え、陽介の家に一緒に帰宅するつもりでいた七瀬が、立ち止まって問いかける。
「他に好きな人でもできたわけ?」
「全くそういうのじゃないんだ…」
どこか店に入る気にも移動する気にもならず、ちょうど目に入ったけやき坂のベンチに並んで座り、2時間以上話しただろうか。
「別れたいってこと?ねえ、二人で結婚の話だってしてたじゃない?」
「…ごめん、そうだよな…」
―ごめんって何よ!
―5月の誕生日あたりにプロポーズされる予定で、完璧な人生プランを考えてたのよ…!
七瀬は喉まで出かかった言葉を飲み込むように、深呼吸をした。
これまでそれなりに、男と出会い、別れを繰り返してきた。
別れを切り出した男の気持ちは、恐らく揺るがないだろう。
こちらが引き留めたところで意味をなさないことくらい、わかっている。
…だとしたら。
七瀬はベンチから立ち上がった。
「…わかったわ、でもきっと陽介、あとで後悔すると思う」
陽介を睨むように、でも口元は無理に笑いながらそう言った。
自分の口から絞り出された言葉に、七瀬自身も驚く。
悲しい気持ちと悔しい気持ちと情けない気持ちが混ざり合った。
そのまま帰ろうとすると、陽介がスッと一万円札を差し出してきた。
「帰りのタクシー代に、使って」
―何、バカにしてるの…?
まるで手切れ金かのように差し出されたその手を見ながら、七瀬は笑顔で首を傾げた。
「いらないわ。でもこれまでありがとう、さようなら」
振り返らない。決して。
―すぐに彼氏を作って、来年には結婚してやるんだから…!
まずは行動あるのみ。
七瀬はタクシーを捕まえ乗り込むや否や、スマートフォンを取り出す。
思いつく限りの友達に紹介のお願いや食事会の設定を依頼。
これまで無縁だったマッチングアプリもダウンロードした。
その日のうちに、数件の食事会や紹介の予定が決まり、あとはそこから交際に繋げるだけ。
…のはずだった。
そのあと世界は一変したー
―緊急事態宣言で、食事会もデートの予定も、白紙よ。
ベランダの風が強くなり、七瀬はスマホを片手に目をこすりながら、寝室に戻る。
「それでも…、来年に結婚する目標は、絶対に変えない」
自分自身に宣言するように、低い声でつぶやいた。
―でも、新たな出会いの機会が無いなか、どうやって…?
考えるように頭に手を当てながら、いつもの癖でインスタグラムのストーリー投稿を見る。
かなりの数をフォローしているため、普段は全て見切れない。
だがこの日は珍しく隅の方まで見ていると…。
「…えっ!」
思いがけない人の、思いがけない投稿が目に入ったのだ。
この記事へのコメント
元カレが経営者と知ってとか起業したのをインスタでみてDM