翌日、新しい部屋のことを考えて浮かれていた理央だが、対照的に康介の顔は暗かった。
「ねえ、理央。部屋を借りるって言っても、仕事用だから、仕事が終わったらこっちの家に帰ってくるんだよね?家賃とかもったいなくない?どのあたりで探してるの?この近くで理央が納得できるような部屋となると、ワンルームでもそれなりの金額するでしょ?」
康介が、昨夜から同じようなことばかりを聞いてくる。
夫婦関係が冷めてきたと思っていた理央にとって、康介の動揺している様は少々意外だった。だが、だからと言って部屋を借りるのは止めよう、とは思わなかった。
康介のことを嫌いになったわけではない。ただ、これまでと同じように仕事に打ち込める場所を確保するため、理央にとってはどうしても必要なのだ。
頑なな理央の態度に不安を募らせたのか、康介がこんな提案をしてきた。
「今夜は、久しぶりに外で食事しない?お互い別々にテイクアウトとかデリバリーを食べることが多かったし、2人でゆっくりレストランで食事って、最近あんまりできてなかったからさ」
この一言で、理央はつい、眉間にシワを寄せてしまった。
「康介って、本当に私の話を聞いてないよね。今日は大学時代の友達と食事に行くって言ってたでしょう?」
理央が冷静に言うほど、康介は「しまった」という顔をする。
だが、康介の焦った顔を見て、強く言い過ぎたと反省した理央は、ある提案をした。
「明日だったらいいけど?」
「え、明日って、内見に行く日だろう?」
「内見は、お昼すぎには終わるから。ちょうど行ってみたいお店もあるのよ」
理央の言葉に、康介は食い気味に「うん、行こう!」と言ってくる。
「渋谷スクランブルスクエアの12階にある地中海・アラビア料理の『CARVAAN TOKYO(カールヴァーン・トウキョウ)』に行ってみたいんだよね。今年の夏は海外旅行もできなかったから、ちょっと海外気分も味わえそうだし、アラビア料理って珍しいじゃない?
『CARVAAN TOKYO』に行ったっていう会社の子も、スパイスが効いててやみつきになりそうって絶賛してたの。それに、秋物のコートも買いたいから、渋谷スクランブルスクエアに早めに行って、お買い物してから食事しましょうよ」
そうして、久しぶりに2人で外食することになった。
ーもし、明日部屋の契約まで済ませちゃったら、そこで報告しよう。
理央は密かにそんなことを思いながら、康介に笑顔を向けた。
◆
―日曜日―
「部屋、どうだった?」
待ち合わせ場所である、渋谷スクランブルスクエアの入り口で理央を見つけると、開口一番に康介が切り出した。
「うん、良い部屋だったよ。部屋のことは、食事しながらゆっくり話すね。とりあえず、行きたいお店が沢山あるから、荷物持ちよろしくね」
理央がニコリとほほ笑むと、康介は多くを聞くことはなく、「わかったよ」と一言だけ返す。
それからは、互いに別居話には触れず、買い物を楽しんだ。各フロアをゆっくりと見て歩き、理央が秋物のコートと靴を1足買ったところで、予約の19時になったため、12階へ向かった。
「わー、素敵な雰囲気!」
『CARVAAN TOKYO』の前に立ち、入り口を見上げながら理央が声を上げた。
落ち着きと重厚感のある店内を見渡し、理央と康介は「素敵だね」とほほ笑み合い、スタッフに案内されるまま席に着くと、理央はさっそく口を開いた。
「まずは乾杯して、ゆっくり食事しましょう。私、もうお腹ペコペコだから、美味しい食事でお腹を満たしたら、私が今思ってることを、きちんと話すから」
康介は、覚悟を決めたかのように神妙な面持ちで大きく一度頷くだけで、言葉は何も発しなかった。