
伝統となった革新を次代に繋げる、重責を担う味
伝統となった革新を次代に繋げる、重責を担う味
血気盛んな若者も、年齢を重ねることでまた未知の局面へと歩を進める。来年開業50周年を迎える『ホテルオークラ東京』、1973年に開店した『ラ・ベル・エポック』は、まさにその只中にあると言えるだろう。
同店料理長・山本克哉氏が入社したのは30年前の19歳。東京オリンピック目前のホテル開業ラッシュを頭ひとつ分抜きんでた『ホテルオークラ東京』が、世界のベストホテルのひとつとして煌めく評価を不動のものにした頃だ。だから何故このホテルを選んだのかと彼に問えば、不思議そうな顔を見せた。日本におけるフランス料理界の「天皇」のひとり、小野正吉氏が牽引したここを、目指さぬわけがなかろうと。
小野氏らが任じられた命は、革新であった。エスコフィエの流れを忠実に汲む先達を超えるため、時代の最先端であるヌーヴェル・キュイジーヌを東京のゲストたちへと供し、評判を取る。早期からフランス人シェフを招き入れるなど、常に新しい本物を受容し、咀嚼してきた。「オマールブルー海老のスフレ アメリケーヌソース」は同ホテルに受け継がれてきた、小野氏のスペシャリテ。山本氏によれば、「入手方法が確立し、オマール海老はフランス産を使用しているのが唯一の変化。ルセットも材料も、同一」だそうだ。
20歳で『ラ・ベル・エポック』配属となった山本氏にとって、この店はきら星であり、壁であり、虎の穴だった。『ホテルオークラアムステルダム』出向などで腕を磨き、’03年再び同店の厨房に立つ。開業以来、多くの海外シェフ招聘イベントを実施する同ホテル。間近で見たジョエル・ロブション、ミシェル・トラマらの技と情熱には特に心を動かされたと山本氏は言う。
山本氏は2011年48歳で同店料理長に着任。革新はいつしか伝統となり、それを継承する重圧が彼を待つ。古き良きものが古びぬように。時代に合わせた微調整に心砕きながら、新しいゲストへとバトンを渡す。