オフィスが渋谷にあるため、咲希は東急田園都市線沿いの溝の口に家を借り、渋谷まで通勤していた。
東京の電車の中でも群を抜いて混雑していると言われている路線。毎朝、あくびを噛み殺す疲弊しきったサラリーマンのおじさんたちとみっちりと触れ合いながら、渋谷までの区間を過ごしている。
ストレスがないと言えば嘘になるが、それよりも、日々の会社での仕事が楽しく、苦にならない。梨江子の真似をして、朝は始業よりも少し早く出社して、一日の業務の整理をする。
毎日朝から晩まで、ひたすらに仕事をこなす日々。咲希はこれまでに無い充実感を感じながら、少しずつだが、毎日成長していく自分に喜びでいっぱいだった。
◆
平日5日働いて、2日休む。これを4回繰り返せば、あっという間に1ヶ月が過ぎていく。時間の流れがあまりにも早く、気がつけば桜も散り、吹く風に湿っぽさが混ざってきた。いつの間にか、もう6月だ。
人材派遣業界は、閑散シーズンに突入した。慌ただしく流れた繁忙期が終わり、会社全体も「ふぅ」と一息つくムード。咲希もようやく会社にも慣れてきて、翌日が仕事でも飲みに行けるようになっていた。
そんなある木曜日の仕事終わり。
梨江子や圭太を含む会社のメンバー数人と、宇田川町にある和食屋で軽く飲んでいた。上京当初は、テレビでしか見たことのなかったスクランブル交差点や渋谷109に興奮していたが、いつしか見慣れた景色となっていた。
飲み会も終盤に近づいてきた頃、トイレから席に戻る前に、スマホを見た。昨日の夜に送ったはずの悠への連絡は、まだ返事がないままだった。
ここ最近はこんな調子だったが、軽く酔った咲希の意識が、ふと悠とのLINEのやり取りに向いた。あまりに目まぐるしく回る日々の中では気付かなかったが、4月の初めと比べると、明らかに悠からの連絡の頻度が少なくなっている。
悠からの連絡は1日に一度あるかないか。咲希からのメッセージにもスタンプ一つで返すようになっていた。
―気付かなければ良かった。
咲希の心臓が変にバクバクと動き出す。ほろ酔いの頭で考えることはいつもより歯切れよく、でも少しだけ複雑だ。悪い方、悪い方へと考えが一人歩きしていく。
席に戻らないとー。そう思い、顔を上げた瞬間、先ほどまで同じ席で飲んでいた同期の安川海斗が目の前にいた。
「どうしたの、こんなところで。戻んないの?」
海斗は、圭太と同じ企画部に所属している。黒髪は短く整えられており、いかにも体育会上がりの“新卒ルーキー”。絵に描いたような爽やか青年だ。
「あ、いや、今戻るとこ。」
あまりに真っ直ぐな海斗の眼差しに戸惑いながらも、咲希はそう言い残し、その場を立ち去ろうとした瞬間、海斗が口を開いた。
「てかさ、今度飲みに行かない?二人で。」
突然の誘いに戸惑いながらも、海斗の肩越しに見える圭太の存在が気になっていることに気が付いた。
▶︎NEXT:10月10日 木曜更新予定
悠の態度の変化に気づいた咲希。同僚海斗からの誘いに咲希は・・・?
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この記事へのコメント
そういう話も面白いけど、今後の展開が楽しみでーす!