同期との飲み会中に起きた、ある出来事
「直斗!久しぶりだな」
恵比寿にあるいつもの居酒屋に着くと、周りの同期が一斉に声をかけてきた。1番最後に着いた直斗を入れて8人、4人がけのテーブルが2つ埋まっている。
テーブルに着き、ビールで乾杯。話題はもっぱら、今日出た人事発令の裏話だ。実力主義と言われる直斗の会社だが、100%そうとも言い切れないところがあり、常にいろんな憶測が飛び交っている。
その話題に夢中になり、2杯目のビールを頼もうと隣のテーブルをふと見ると、一馬の姿があった。
隣では、最近食事会で会ったという女子の話で盛り上がっている。だが一馬は話題の中心になるわけでも、かと言ってつまらなそうにしている訳でもなく、適度な距離を保ちながら話を聞いているように見えた。
―相変わらずだなぁ…。
こちらのテーブルでは、もちろん一馬のシニアマネージャー昇格の噂も話題にのぼったが、一馬はそれを聞かれても「ないない」と手を横に振るばかりだった。
◆
飲み会も終盤に差し掛かり、会計のタイミングの時。同期なので、もちろん割り勘で1人きっちり5,500円を幹事が徴収しだすと、一馬が切り出した。
「俺、クレジットでまとめて払ってもいい?」
「さすが次期シニアマネージャー・一馬さん!あざーっす!!!」
同期の何人かがそう冷やかすと、一馬は苦笑しながら財布からカードを取り出した。
一馬が持っていたのは、重厚感のあるスタイリッシュなデザインの、ブラックカード。一気に注目が集まる。
「え?お前ブラックカード持ってるの?どこの?」
直斗が思わず聞くと、一馬は言った。
「『ラグジュアリーカード』ってやつ」
無駄のない洗練されたデザインのカードは、一馬にとてもよく似合っている。素材が金属らしく、メタリック感がこれまでに見たことのない感じでカッコいい。
―ふーん…。やっぱり最速出世する男っていうのは、違うワケね。
歴然とした差を見せつけられたようだった。
◆
帰り道、同じ方面に住む直斗と一馬は、同じタクシーに乗り込んだ。何となくぎこちない空気が流れる。
一馬はいつもより疲れているように見えた。正直、今日の飲み会は気まずかったに違いない。言葉の節々に感じられる同期たちからの嫉妬に、気づかないはずはないだろう。
すると一馬はぼそっとつぶやいた。
「さっきのブラックカード‥」
突然の話題に、直斗は思わず「え?」と聞き返す。
「30歳になったときに、作ったんだ。持ってて、テンション上がるぜ」
急に何を言い出したのかと思ったら、一馬は続けた。
「なんか今日も散々言われて参ちゃったなぁ…。『お前、ディレクターに取り入ってるんだろ?』とかさ」
初めて聞く、一馬の本音。その瞬間、何かが直斗の琴線に触れた。
「嫉妬されるだけ、羨ましいよ。お前って普通に見えるのに何が違うんだろう、って正直思うよ」
すると一馬はにやっと笑った。
「普通に見えるって…まぁそれはそうだな。でも俺には、1つだけ譲れないことがある」
“1つだけ譲れないこと”という言葉に特段反応もしなかったが、内心は興味津々だった。
「例えばさ、この『ラグジュアリーカード』のブラックカード。少し早いかなって思ったんだけど、持ってたら身が引き締まって、早くこれに追いつこうって思うんだよ。そういうものを1つずつ、増やしてく。バカラのグラス、ヴィンテージのワイン、イタリア製の靴…」
そして少し恥ずかしそうにこう言うのだった。
「俺さ、“デキル男”を演じてるの。いつの間にか、自分がそれに追いついていくから」
直斗は思わず、深くうなずいた。
自分の財布の中には、新入社員時代から更新していないクレジットカードが2枚。家にあるグラスは引っ越した時に間に合わせに買ったものだ。
いろんな思いを巡らせていると、あっという間に2人の家の近くに着いた。直斗が現金を出そうとするよりも早く、一馬が「スマホ決済できますか?」と聞く。
クレジットカード・スマホ決済…。一馬はシーンによって、決済方法を使い分けているようだ。
そのスマートな身のこなしは、新入社員時代から変わらない。直斗が一馬を「普通」と思っていたのは、一馬を特別だと認めたくなかっただけだ。
家に帰り、一馬の言葉を思い出す。
―俺さ、“デキル男”を演じてるの。
―いつの間にか、自分がそれに追いついていくから。
もしかしたら、そうした”少しの背伸び”が自分には足りないのかもしれない。
直斗は早速、『ラグジュアリーカード』のブラックカードをネットで検索した。それは、2016年に米国から日本に来たばかりのマスターカードの最上位クラスのクレジットカードのようだ。
そしてこれを機に、直斗の身に様々な変化が起こる。