石田はそう言うと、幸太の肩を二度、力強く叩いた。
「あ…ありがとうございます!」
石田とは、たまたま『Anyca』を通じて出会っただけだ。それがこんな風に高級腕時計を手渡され、さらには背中まで押してくれるなんて。
−これからは、人との繋がりがモノを言う社会だからな−
『Anyca』の素晴らしさを力説しながら、そういえば慎太郎もそんなことを言っていた。
型どおりの毎日を過ごしていては出会えない人とも、いつもと違う道を選べば知り合うことができる。自らが行動しさえすれば、未来はどんどん変わっていくのだ。
◆
小百合の自宅、品川の小綺麗なマンションの前で、幸太は意気揚々と車を停めた。
フロントガラス越しに、エントランスから可憐に登場した小百合の姿が見えた。
しかしポルシェで迎えにいくことはもちろん秘密だったから、彼女はどこに幸太がいるのかわからずキョロキョロしている。
小百合が自分を探している。ただそれだけのことで胸がいっぱいになってしまう自分に失笑しながら、幸太はゆっくりと車を降りた。
「え…?ど、どうしたのこれ…」
幸太の姿を確認すると、小百合は大きな目をさらに見開き、驚きで声も出ないようだった。
「レンタカー、じゃないよね…?だって、“わ”ナンバーじゃないし…」
困惑した様子で、小百合は車の横を行ったり来たりしている。
しかしその表情は明らかに高揚していて、「すごい!」とこちらを振り返った笑顔は最高に輝いていた。
事前の入念な計画が功を奏し、鎌倉〜湘南ドライブデートはすべてが順調だった。
ポルシェの助手席でも、海を望むレストランでも、彼女は絶えず魅力的な笑顔を見せてくれた。
−私、医者の彼氏がいるの。
あの言葉は嘘だったんじゃないか…?
いや、それはただの願望だ。わかっている。しかしそんな風にさえ考えてしまうほど、小百合と過ごす時間は幸せそのものだったのだ。
そして日が落ち始めようとした頃。
「海辺で、サンセットが見たいな」
そう提案したのは、他ならぬ小百合の方だった。
パーキングに車を停め、二人並んで海岸沿いを歩く。
「ねぇ、あっちの方が綺麗に見えそうじゃない?」
小百合がはしゃいだ様子でそう言うと、不意に幸太の腕をとった。
−え…!
内心の動揺はもう、半端ではない。しかしどうにか平静を装い、今度は幸太の方から小百合の手を握った。
繋いだ手はそのまま、離されることはなかった。いや、ほんの少し力が込められた気さえする。
−これは…?もしかして、もしかすると“脈アリ”なのか…?
手のひらに全神経が集中してしまう。まるで高校生男子のようなときめきを感じながら、幸太は石田がかけてくれた言葉を思い出すのだった。
−もっと自信を持って−
そうだ。彼氏がいたって、その彼氏が医者だからって、臆する必要はない。
現に小百合はこうしてドライブデートに来ている。幸太の隣で、楽しそうに笑っている。それはまぎれもない事実なのだ。
「めちゃくちゃ綺麗だな…」
間もなく海に沈もうとする夕日は、真っ赤に燃えている。
小百合と並んで眺めるその景色は、大げさじゃなく人生最高の眺めに思えた。
「綺麗だね…」
幸太に続き、小さく呟く小百合。そして二人はそのまま黙り込んだ。しばしの沈黙。しかしその静寂がむしろ心地よい。
−なんだか今日のこの1日で、小百合との距離がぐっと縮まった気がする。
そんな風に密かに手応えを感じていると、夕陽を見つめたまま、小百合がポツリ、と口を開いた。
「実は私…彼と別れようかと思ってるの」
「え…?」