私たちは“仲の良い同期”
「ほんっと仲良いよねぇ、あんたたち。また二人で飲みに行くの?」
さあ仕事に戻ろうと再びPCに視線を落としたとき、背後から、冷やかすような訝しむような声が聞こえてきた。
振り返ると同じクリエイティブでコピーライターをしている同期の真帆が、私に好奇の目を向けている。
「杏ちゃんと敦史って、本当に付き合ってないの?っていうかむしろ、さっさと付き合えばいいと思うんだけど」
全く理解できない、といった表情で首をかしげる真帆。私はそんな彼女に「あはは」とただ笑ってごまかす。
こんな風に敦史との仲を疑われるのは日常茶飯事だ。
勝手に勘違いされ「橋本さんと沢口さん、すっごくお似合いです♡」なんて、後輩に憧れられたこともある。
一緒にいる姿が妙にしっくりくるらしく「もしかして夫婦ですか?」と言われたこともあったっけ。
そしてそんなとき、私はもちろん敦史の方も、特段ムキになって否定しようとはしなかった。
「なに勘違いしてるんだろなぁ」と言って可笑しがる彼は決して嫌がっているように見えず、そしてそのことは私に少しばかりの自信を与えてもいたのだ。
しかし実際のところ、私と敦史の関係は同じ広告代理店で働く同期。ただ、それだけだ。入社して2年以上が経ったが、私たちはずっと“仲の良い同期”のまま。
それでも私がこうして淡い期待を抱いてしまうのには、もちろん理由がある。
例えば、他の同期は私を「杏ちゃん」と呼ぶのに、敦史は当たり前に「杏」と呼び捨てにする。仲間で集まっていても気がつくといつも敦史が隣にいて、なんの躊躇いもなく私の肩を抱いたりする。
それから、敦史の私を見る目が優しい。
…それだけ?と思われてしまうだろうか。
しかし表に出る言葉や態度だけが恋心の証ではないはず。異性として意識するより先に友情を育んでしまった私たちは、食事会で出会った男女のようにシンプルにはいかない。私自身が敦史に対する思いをひた隠しているように。
ああ、そうだ。それから、敦史はこの2年特定の彼女を作っていない。まあもちろん、適当に遊んではいるみたいだけれど。
「その辺の女とデートするより、杏と飲む方が楽しいんだよなぁ」などと言って、敦史は頻繁に私を食事に誘う。今夜もそうだ。
19時にオフィスエントランスで待ち合わせ、私たちは二人で食事に行く。行き先は多分、お互いのマンションがある恵比寿の居酒屋。
私たちはいつも、意味のないジョークをかわして涙が出るほど笑う。そして最後は必ず「じゃあ、またな」と言って別れるのだ。
そう、私たちにはいつだって「また」があった。
恋人同士じゃなくても、いや、恋人じゃないから、私たちの絆はちょっとやそっとのことで壊れたりしない。
それがわかっていて、それゆえ私はずっと逃げてきたのだ。
愛されたいと願う心に蓋をして、このままでいいと言い聞かせた。敦史への恋心が泡となって消えてしまうくらいならいっそこのままでいい、と。
私は怖かった。愛されているかもしれないという期待を、ただの勘違いだと思い知らされてしまうことが。
伝えるチャンスならいくらでもあったのに。ずっとずっと一番近くにいたのに。ついぞ言葉にできなかったのは誰のせいでもない、自分自身の意気地のなさだ。
24歳にもなりながら、私はどこかで夢を見ていたのかもしれない。
敦史も実は私のことが好きで、いつか愛を打ち明けてくれる日が来る…なんて、そんなおとぎ話のような展開を。
…そして、そんなおとぎ話の終焉はいともあっけなく訪れた。
夢を見ていた時間は随分と長かったのに、独りよがりの恋心が砕け散るのはあっという間の出来事だった。
この記事へのコメント
ま、言ってたとしても彼が友達を好きになっちゃう可能性はあるけど(笑)
今後の展開は彼と友達が付き合うんだろうけど、結末が予想出来ないから楽しみ!
東カレらしくなく純情な感情(笑)を貫いて、
マウンティング系の話にならないといいなー