これで帰ってねと渡された一万円札を、どうすればいいのかわからず大切にとっておいたのは最初の3回だけ。4回目に一万円札を渡された時には、高校生の時にファストフードで5時間のアルバイトを終えた後と同じ、達成感のようなものを噛み締めていた。
「美和ちゃんは美人で、育ちの良さが滲み出てるよね」
男の人にそう煽てられ、自分でも少し調子に乗っていたとは思う。でも、いつまでもこの快楽的な毎日が続かないことも、私は何となく知っていた。
東京には、若くて美しい女に贅沢させることを生きがいとする男が沢山いる。だから私は、30歳までと決めて、男性から受ける恩恵に目一杯甘えることに決めたのだ。
一流のレストラン、高価なバッグにアクセサリー、芸術品のような靴が私の前に差し出された。レストラン偏差値は、同世代の女の子の中ではかなり高くなっていた思う。
そうして東京に馴染むほどに、洋平のことを忘れていった。
31歳の時に、映像制作会社を経営する元夫と出会い、「この人だ」と一目惚れした私は、すぐに彼と付き合いだして結婚した。
東京に出てきて10年ちょっと。
いろんな経験をして、年上の男の人に甘えて、頃合いを見て卒業。
その時々ではいろんな悩みを抱えてはいたけど、それでも自分はうまくやったと思っていた。東京の楽しい部分を上手に味わった後、自分の理想と現実にきちんと折り合いをつける。夢ばかり見るのはとっくの昔にやめていた。
それなのに、結婚4年で離婚。
やっぱり、私の人生は後悔ばかりだ。恋愛上手になったつもりでいたのに、結局は失敗しているのだから。
この記事へのコメント
平成振り返りオムニバスかぁ〜〜いつもの東カレとは毛色が違っておもしろい。
バブルの時代に四大卒女子は金融機関に就職した人が多く、私の周りも銀行、證券、生保、損保、と日本の代表的な企業にこぞって就職した。私もその1人。まさか「銀行が倒産する」時代がやってくるとは夢にも思わなかった。