「電車内で痴漢トラブルに巻き込まれるなんて…悔しいわ」
「…高木先生って正義感がある方だったから…素晴らしいとは思うけど」
「逃げた犯人追いかけて…その途中で心臓発作って……無念だよなぁ」
父と付き合いのあった出版社の編集者たちが、廊下の隅で立ち話をしている。
葬儀も無事終わり、後片付けをしている最中だった。私は、彼らの前を通ることなく、そっとキッチンへと引き返した。
さすが有名人だった父らしく、報道カメラや新聞各社の取材でいっぱいの華やかな葬儀だった。
明日のニュースにはきっと「正義の作家、高木港一の半生」や「犯人を追いかけ無念の突然死」なんかが一面に踊るのだろう…。父の著作はきっと売れるだろう。そう思うと、何故か心のどこかでホッとする私がいた。
この10年、私にとって父は、生活そのものだった。
いや、もっと正直な言葉で言うと、父は私のお財布だったのだ。私の優雅な時間も、すべて、父というお財布があってのことだ。
お財布をなくした私にとって、父の財産は、私が再び優雅に過ごすために絶対に必要なアイテムであった。兄と半分にしたって何とか暮らせるはず…そう見積もっていたのに…。
「全財産の管理は、兄である高木航に一任する。そして長女、帆希には100万円だけを遺す。帆希に遺したい言葉はただ一つ…働きなさい。そして自立しなさい…とのことです」
父の顧問弁護士という男がやってきたのは、葬儀の二日後の今日。兄夫婦も同席し、父の遺言の中身というのを私と共に聞いている。
「ちょっと待ってください。こんな遺言状いつ作ってたんですか? 持病があるわけでもなかったのにわざわざどうして遺言状なんて…」
「お前が働かないで、父さんの脛、かじってたからだろ!」
兄がこんなにも声を荒げることは、今まで一度もなかった。40歳の東大卒、メガバンクで次長をしている兄は、父に似て上品で、父よりも寡黙な人だ。
そんな兄が、顔を真っ赤にして私に怒りをあらわにしているではないか。
「私は…お父さんのサポートをずっと…」
「もう何年も前から父さんには相談されてたんだ。お前の浪費癖に困ってるってな!」
ー信じられない…父が私をそんな風に思っていたなんて…。
父と娘、ふたり幸せに穏やかな時間を過ごせていた…私は、この10年、それを信じて疑わなかった。
「なぁ、帆希…いい加減…自立しろよ。もう34だぞ!これからどうすんだよ。財布くらいにしか思ってなかっただろうけど…父さんはもういないんだぞ!」
34歳、国立大卒、独身…無職……。
突然つきつけられた現実に、私は、頭が真っ白になるのだった。
▶Next:12月9日 日曜更新予定
腐れ縁の彼の家に転がり込もうとした帆希に降りかかった、更なる衝撃の事実とは!?
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この記事へのコメント
説教して娘に嫌われるのが嫌だったのかもしれないけど、いきなり放り出すのは無責任。
散々甘い顔をしてきた父親にも問題があると思う。