無業の女王 Vol.1

無業の女王:34歳、国立大卒、独身…家事手伝い。働かず暮らしてきた女が突然、社会に放り出された日

優雅な時間が一瞬で壊れる


私は家に帰るとすぐ、お気に入りの珈琲豆・ブラックアイボリーをミルで挽いた。手のひらに響く振動、そして立ちあがる珈琲の豊潤な香り…私は思わずうっとりした。

父は朝早くに出かけたので、気兼ねすることなくのんびり過ごせる。そう思うだけで気分が上がる。

家事手伝いと言っても、実際、私は…家事をしたことがない。いや、それは手伝う隙がないほど、完璧な家事を父がこなしてしまうからだ。

「執筆の息抜きになるから、私がやる。帆希は自分の好きなことをやりなさい」

それが父の口癖だった。

私にとっての好きなことは、自由な時間を過ごすことだ。徒歩圏内にある素敵なお店で美味しいものを頂き、ピラティスで体幹を鍛え、書道やお茶、お花を嗜む…何よりの贅沢な時間だ。

この時間を手放すことはなかなか出来ない。

月に一度、会うか会わないかの腐れ縁となっている彼からもしプロポーズされたとしても…今さらこの生活を手放して結婚できるかどうか…。

そんなことを考えている私のもとに一本の電話があった。警察からだ。

「高木港一さんのご家族の方でしょうか?」
「はい…娘ですけど…父に何か……?」

「突然のことで驚かれるかと思いますが…ついさっき心臓発作でお亡くなりになりました」

ー父が…亡くなった?嘘……冗談でしょ。

電話の向こうでしゃべり続ける警察官の声が、どんどん遠くなっていく。きっとこれは悪い冗談だ。あれだ、きっと。コメンテーターで顔が売れてきたもんだから、嫌がらせか何かよ。

それとも、どっきりみたいなバラエティ!そうに、決まってる!

質素で生真面目で、お酒も飲まない煙草も吸わない、そんな父が…どうして?

「聞こえてらっしゃいます?お嬢さん!」

ふと大きな声をかけられて我に返った私は、指示された場所のメモを取っていた。手が震えて、うまく書けない。

揺れる住所と電話番号…私は、完全に、動転していた。




ー 人ってこんなにも冷たくなるんだ……。

ー 亡骸とは言い得て妙だなぁ

私は父の頬に触れた時、そんなことをぼんやりと考えていた。目の前にある亡骸は、“父”だったものであって、父ではない。だから、哀しいとか寂しいとか情緒溢れる感情が浮かぶことはなかった。

ー......


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