「ここか。」
修は、初めて訪れたアパレル会社のビルを見上げ、小さく深呼吸した。
新規のクライアントを相手に緊張する時期はとっくの昔に終えたはずなのに、修の鼓動はいつもより早い。なぜならここは、かつての恋人・真理亜が働いていた会社だからだ。
ーあれからもう、10年になるのか。
真理亜にはジュエリーデザイナーになるという夢があり、あの頃は修もその夢を一緒に応援していた。そして真理亜は、第一歩としてファッション業界に就職したのである。
ちょうどその頃、修は激務に追われてすっかり心の余裕を無くし、真理亜と過ごす時間よりも完全に仕事を優先するようになっていた。
その結果、忙しさにかまけて恋人を大切にしなかった修が振られるという形で、二人の関係は10年前に幕を閉じたのだ。
新規の担当先として会社の名前を聞いたときは、正直とても驚いた。もう一度真理亜に会えるかもという思いが頭をよぎったが、努力家の彼女のことだから、きっと夢を叶えてもうここにはいないだろう。
そう思っていたけれど、まさか。
会議室にいる真理亜を見て、修の胸は久しぶりに高鳴ったのだった。
「修、全然変わってなくてびっくりした。」
打ち合わせ後、二人っきりになった会議室で、真理亜が微笑みかける。
「真理亜こそ。…綺麗になってて、びっくりした。」
久しぶりに彼女に名前を呼ばれ、顔が熱くなる。10年ぶりに会う彼女は、仕事のできる大人の女性へと変わり、さらに魅力を増していた。しかし大好きな笑顔は、昔のままだ。
照れたように前髪を弄る麻里亜の薬指に、指輪はない。修は思わずホッとした。
別れてから10年経ったが、実は今でも、真理亜のことを思い出すことがある。
彼女に別れを告げられた時、若かった自分はどうすることもできなかった。だけど、真理亜を失ってみて、その存在がどれほど大きかったかということにようやく気付いたのだ。
一足先に社会人になり、がむしゃらに突っ走っていた自分を、彼女はいつも隣で支えてくれていたのに。
修は、真理亜を大切にできなかったこと、そしてそれゆえに彼女を失ってしまったことを今でも後悔していたのだった。
「この会社にまだいたんだな。来る前にもしかしてとは思ったけど、てっきりもう違うかと思ったからさ。」
運命的な再会をして、修は嬉しさのあまり饒舌になるが、それに対する真理亜の返事はそっけなかった。
「…そうなの。じゃあ、また、次の打ち合わせでよろしくお願いします。」
◆
ー真理亜、本当に綺麗になってたな。デザイナーにはなっていなかったけど、今の仕事頑張ってるんだな…。
真理亜と別れた帰り道も、修の興奮は冷めやらぬままだ。
あの頃の思い出がするすると蘇り、懐かしさで胸が一杯になるが、修はふと考えた。真理亜が頑張っている一方で、自分はどうだろうか。
そのとき胸をよぎったのは、先日後輩に「そんなに人生甘くないぞ」と諭してしまったことだ。
ー俺、このままでいいのか…?
修はハッと顔を上げ、前を向いて歩き出す。
彼女の思い出とともに、少しずつだけれど、かつての熱い情熱が戻ってきたのを確かに感じた。
そして、心の中である決意をしたのだった。