いつからだろう。現実を生きる私たちが、夢を見なくなったのは。
どれだけ努力したって、叶わないことはある。
理不尽な力に、抗えないときだってある。
多くの人は、そう自分に言い聞かせ、今を生きることで必死になってしまうのだ。
広告代理店で働く修(34)も、仕事に打ち込むあまり、大きな夢を忘れてしまった男のひとり。
多忙なサラリーマンとして現実と向き合う日々に追われていたが、かつての恋人・真理亜(32)との突然の再会をきっかけに、何かが動き出すー。
慣れきった日常から一歩を踏み出すのは、今なのかもしれない。憧れの夢をつかむチャンスは、みんなに平等なんだから。
「や、辞める?!」
ランチタイムで賑わう定食屋で、修(おさむ)は、後輩に向かって思わず声を上げた。
日に日に冬が近づいているものの、店内にはサラリーマンの熱気が立ち込め、店員は額に汗を浮かべながら動き回っている。
周囲の騒がしさとは裏腹に、後輩は黙ってうつむいている。彼を見つめる修の背中にも、ひとすじの冷や汗が流れた。
「ハハッ、冗談だよな?…あんなことくらいでさ。」
「あんなことって、修さんは悔しくないんですか!?」
重い空気を笑い飛ばそうとした修に対し、後輩は苛立ったように語気を強めた。
修は、広告代理店で営業マンとして働いている。
今日は後輩と共にクライアントを訪問していたのだが、そこである問題が起こったのだ。
入念に準備をした広告プランに合意を得て、順調に進んでいたのだが、突然の方針転換があったらしく、再度1からのやり直しを要求されるという事態に陥った。
こういったケースは決して珍しいことではない。修は、クライアントに物申そうとした後輩を制し、大人しくその要求を受け入れた。そんな修の行動に、後輩は失望したようだった。
「クライアントはオーナー企業なんだし、こんなのよくあることだぜ。仕事なんだから割り切ってくれよ。辞めるなんて言わずにさ。」
どうにかなだめようと優しい声を出してみるが、目の前の後輩は頑として目線をあげない。
「僕は、どう考えても元の提案がベストだと思います。それに、一度や二度ならまだしも、これで何度目ですか?これ以上、自分の信念を曲げたくありません。僕にこの仕事は向いていないんだと思います。」
ー信念、ねぇ。
目の前で口を固く結ぶ若者に、ふと、かつての自分が重なる。
もう10年以上前になるが、学生の頃は発展途上国のためのビジネスを起業したいと思っていた。世界平和を夢見て実現させようとしていた自分も、かつてはこの若者のように信念を持っていたはず。
だけど。
「…そんなに人生、甘くないぞ。よく考えろ。」
後輩に言い聞かせながら、なぜか、修自身の心もチクリと痛んだ。