「結婚も子供も、私の人生には必要ないわ。」
ほんの一ヶ月前までは、そんなことを言っていた。
恵比寿にオープンしたばかりの『AELU&BRODO』のカウンターに舞子を呼び出して、私は「結婚なんて絶対にしたくない」と息巻いていたのだ。
「ちょっと、今日は受賞のお祝いするんじゃなかったの?」
舞子はドリンクを選びながら、苦笑いをする。
私は、外資系広告代理店で働いている。確かに今日は、Web広告の受賞を祝うという名目で食事に来ていた。私が担当し、舞子に協力してもらったWeb広告が、広告賞の、それも大賞を受賞したからだ。
企画テーマである“すべてを諦めない母親像”に、舞子はぴったりだった。
ファッションメディアの編集長になった彼女を引っ張り出し、企画から撮影まで協力してもらったのは昨年のこと。
普段は”仮面夫婦だ”と言い張る舞子も、夫と子供を連れて撮影現場に現れたときには、なんだかむず痒いほど完璧な家族に見えた。
Web広告は公開直後から反響も大きく、アメリカ本社でも好評で、本国向けにリメイクしたものをリリースする話まで出てきている。
そして私は、キャリアを突き詰める楽しさに目覚めてからは評価も成果も上がり、それが形になる度、例えようのない達成感で満たされていた。
「千華ったら、また"結婚したくない"宣言?どうしたの、仕事で何かあった?」
舞子に尋ねられ、私は、ちょうど前日久しぶりに会った先輩の姿を思い出す。かつて仕事でお世話になったその先輩は、当時私が背中を追いかけ、目標としていた憧れの女性だ。
彼女は、大きなナイロンのカバンを肩に掛けて東京駅に現れた。そしてその装いからは、ピンヒールもジャージーワンピも、きれいに巻いた栗毛色の髪も、きめ細かい肌を際立たせるメイクも消えていたのだ。
正直、誰かわからなかった。
かつては仕事に人生を捧げているように見えた先輩も、今ではすっかりママという職業にハマっている様子で、ぐずりだす子供をあやしながら食事も早々に切り上げ、嵐のように去っていった。
後に残された私は足早に職場へ戻り、彼女の姿を振り切るように提案資料を仕上げたのだった。
それでも先輩の眩しすぎる笑顔は、まぶたの裏に焼き付いて消えることはない。いつか、私も彼女のようになる日がくるのだろうか。
だけど自分が、書類がぎっしり詰まったレザーのバックを手放して、代わりにナイロンのマザーズバッグを抱える姿なんて、絶対に想像できない。
それに、いつの間にかキャリア戦線を離脱していった元同僚たちは、旦那の愚痴や子育ての大変さにいつも打ちひしがれている。彼女たちと会う約束をしても「子供の発熱」や「シッターの不在」で、何度もドタキャンされた。
たまに顔を合わせれば、幸せそうに子供を抱きかかえて「千華はいいわね、独身は楽しまないとね。」と、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
家事や育児にがんじがらめになりながら、自ら手放したキャリアの道にいる私を「羨ましい」と言い、本音では「結婚できない哀れな女」と思っている。そんな彼女たちに共感するなんて、とてもじゃないが出来るはずもないのだ。
この記事へのコメント
頼むから、要らない子供産んで、人生で何か気に入らないことが起きる度に「この子のせいで」って言うのはやめてよ。
ありゃ似非ハーフだがw