「結婚なんかしない」
そう、言い張っていた。
今の生活を手放すなんて考えられない。自由で気まぐれな独身貴族、それでいいと思っていた。
仕事が何より大事だと自分に言い聞かせ、次々にキャリア戦線を離脱してゆく女たちを尻目に、私はただひたすら一人で生きてゆくことを決意していたのに−。
ある日突然、想定外の“妊娠”に直面した木田千華、32歳。一生独身主義を豪語していたはずだったキャリア女子の人生が、大きく動き出す。
「…うそでしょ。」
今年の夏はひどく暑かった。
そのせいで、ずっと体調がおかしいのだと思っていた。
原因不明の倦怠感も、微熱が2週間続いているのも、来るべきはずの生理が来ないのも、きっと忌々しいほど暑苦しい夏のせい。そう思ったのだ。
ここ数日は、ビールやワインがテーブルに並ぶのを見るだけで吐き気がする。食欲はみるみる減退し、ランチの誘いも断る始末だ。
だから、こんなものを買ったのはただの気まぐれで、”そんなわけない”と自分を納得させたかったから。
それなのに、今、私は妊娠検査薬を握りしめて、南麻布のマンションの一室の狭いトイレに閉じこもって震えている。
「うそ、だよね。」
もう一度つぶやいてみたけれど、頼りない独り言は換気扇のファンに吸い込まれて消えてしまった。
トイレを飛び出して、照明が煌々と照らすリビングで確かめてみる。だけど、縦線はくっきりと刻まれたまま当然消えてはくれなかった。
見間違いなんかじゃない、夢であるはずもない。
その事実を突きつけられると同時に、私は携帯電話をカバンから引っ張り出して親友の舞子に電話をかけた。
混乱に溺れながら、長い呼び出し音の後にやっと電話に出た舞子に告げる。
「私、妊娠した…。」
受話器の向こうで舞子が小さく「えっ?」という声を上げ、そのあとしばらく無言が続いた。まるで永遠に続くかと思うような沈黙だった。
「今どこ?家にいるの?待ってて、すぐに行くから。」
その後のことはよく覚えていない。
電話を切ってから、ソファーにうずくまってボロボロ泣いていたと思う。
どろどろとメイクが落ちて、買ったばかりのクッションカバーが灰色に濡れていく。
私は独身で、そして妊娠したのだ。
この記事へのコメント
頼むから、要らない子供産んで、人生で何か気に入らないことが起きる度に「この子のせいで」って言うのはやめてよ。
ありゃ似非ハーフだがw