樹との出会い
そこからは、両家の親も入れての話し合いとなった。洋介は離婚を嫌がっていたが、幸いにも義母が私のことをよく思っておらず、何とか離婚の方向で話がまとまった。
着の身着のままで出て来たので、何度か夫の留守中に家に帰らなければならなかった。その時に会ったのが、樹だ。
「神山さん…。何か、あった…?」
離婚が決まっていたとは言え、精神的に参っていた私は、樹から見ても分かるほどに憔悴していたようだ。
夫とは真逆に優しく接してくれる樹が、その時の私には、神様がくれたお守りのように感じてしまった。
結婚をしていたことは知っていたが、何となく、本人に直接は確かめなかった。
それに彼自身、私と同じように傷ついて疲れていて、どこかで助けを求めているようだった。そんな彼に自分を重ねてしまい、離れることができなくなった。
ー大丈夫、友人として会っているだけよ…。
初めは自分にそう言い聞かせていた。しかし、洋介との離婚が正式に決まった日、彼とのこれまでの思い出…良かったことも悪かったことも全て、走馬灯のように頭を駆け巡った。
そして、その心の隙間を埋めるように、樹と体を重ねてしまった。
洋介とのことは、離婚だけで終わらなかった。別れてもなお、洋介はストーカーのように私に付きまとった。時には実家にまで押しかけ、近所の人にもあることないことを言い回ったのだ。
私は警察に相談し、洋介に直接注意をしてもらった。ストーカー行為は収まったものの、近所の噂の的になってしまい、今度は父とうまくいかなくなった。そして、自立するためにも、家を出ることを決意した。
ちょうどその頃、知り合いの紹介で、小さな銀行の事務に就職が決まり、杉並区のアパートを借りる事ができた。
ーおめでとう、由香里!でも、林田さんが本当に諦めたか分からないから、気をつけて。何かあったらすぐに連絡して。
樹のそんな言葉が支えだった。しかし、それもいずれ手放さなくてはならない日が来る。
「由香里、ごめん。奥さんに、俺たちのことがバレたかもしれない。しばらく、会えなくなる。でも、もし何かあれば飛んでくるから」
幸いなことに、あれから洋介のストーカー行為はパタリと無くなった。プライドの高い洋介には、警察からの注意が効いたのだろう。
「うん、分かった」
樹にそう返事をした後、ふと我に返った。これまでは、自分がモラハラの被害者だった。それがいつの間にか、自分がよその夫と浮気をする加害者となっていたのだ。
ーそうだ…彼には奥さんがいるんだ。頼ってはいけなかったんだ…。
気がつけば、自分が傷つける立場になってしまっていたのだ。その事実が急にズシンと重くのし掛かる。その上、もし慰謝料なんて請求されたら、今の自分の状況では払えそうもない。
樹への思いが恋なのか、ただ傷を舐め合いたかっただけなのか分からない。けれども、いつまでも彼に頼っていてはいけないのだ。
ーなんてことをしてしまっていたんだろう…。
そして私は、樹との別れを決意したのだった。
…しかし時はすでに遅く、後日、樹の奥さんに呼び出されることとなった。
面会の日、想像していたよりも若くて綺麗な彼女を見て、自分でも驚くような感情に襲われた。
ー悔しい…
樹とは、きっぱり別れるつもりでいた。それなのに、若くて綺麗で仕事もあって樹もいて…。私が欲しいものを全て持っている彼女を目にした途端、嫉妬心が芽生えた。
そして樹自身、私を忘れきれていないと感じた。私を見る目に、少なからず熱を感じたのだ。
ーきっと、この夫婦は、いつか壊れる…
そう確信した私は、ただただ小さくなって謝った。少しでも同情を引くためだ。
人の感情というのは本当に恐ろしい。あんなに強く自分を責めたはずなのに、私は“嫉妬”という醜い感情をコントロールできなかった。
けれど、最後は彼らが選択することだ。私はただ目を潤ませて、二人の未来の行く末を静かに見届けることにしよう。
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いよいよ明日最終回、あゆみが出した結論とは…?
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