神戸嬢戦争 Vol.7

「神戸生まれ・私立育ち・外車所有」の男じゃないと、付き合えない?神戸に住む男女の恋愛事情

アラサーの神戸嬢を語るには欠かせないある“時代”が、神戸にはあった。

2000年代初期、今なお語り継がれる関西の「読者モデル全盛期」だ。

それは甲南女子大学・神戸女学院大学・松蔭女子学院のいずれかに在籍する、容姿端麗な神戸嬢たちが作り上げた黄金時代である。

しかし時を経て読モブームは下火となり、“神戸嬢”という言葉も、もはや死語となりつつある。

高校時代から、神戸嬢に憧れて姫路出身の寛子。

神戸女学院大学入学後は読者モデルデビュー、さらに憧れの菜々子のブランドでのアルバイトで、「神女の寛子ちゃん」から「菜々子のブランドの寛子ちゃん」と呼ばれるようになり、全てが思い通りに進んでいたはずだったが・・・。


憧れだったはずの、”神戸嬢”。

しかし一度抱いてしまった“神戸嬢”への違和感は、どんどんと大きくなるばかりだった。

巻き髪と高価なブランド物を、皆が同じように着飾ること。親のバックボーンありきの生き方で、友達や彼氏までもが付属品として重要であること。そしてうわべの笑顔で保たれている、女子会での“仲良し”ごっこ。

これらを“おかしい”と思う感覚は、間違っているのだろうか?自分だけが、この状況に馴染めずにいるのだろうか。

いつしか寛子も、うわべの笑顔が得意になっていた。スナップ用に練習した笑顔が、いつでも顔に貼り付いているのだった。



その日、遅番の出勤者は圭子と寛子の2名だった。

「寛子ちゃん、お疲れ様!また明日ね。」

いつもよりも早く仕事が終わり、2人は早々に別れた。圭子とは仲が良いとは言えないまでも、それなりに会話をしてもらえるまでにはなっていた。

表面上の付き合いではあるが、毎月行われる女子会をきっかけに、必要最低限の会話が出来るようになったのだ。

圭子が見えなくなったところで、寛子はふっとため息をついた。その場は何とかやり過ごせるが、1人になった途端、その時には気付かない疲労感がどっとやってくる。

駅までの道のりをとぼとぼと歩いていた寛子は、ふと思い付く。

―まだ早いし、スタバ寄ろっかな。

疲れた時は、とにかく甘い物に限る。そう思い立つと、さっきまでの疲労感が少し和らいだ気がした。

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