神戸嬢戦争 Vol.1

神戸嬢戦争:“神戸嬢”は、もはや死語?関西読者モデル戦国期を生き抜いた女たちの末路

いまのアラサー神戸嬢を語るには欠かせないある“時代”が、神戸にはあった。

2000年代初期、今なお語り継がれる関西の「読者モデル全盛期」だ。

それは甲南女子大学・神戸女学院大学・松蔭女子学院大学のいずれかに在籍する、容姿端麗な神戸嬢たちが作り上げた黄金時代である。

しかし時を経て読モブームは下火となり、“神戸嬢”という言葉も、もはや死語となりつつある。

神戸で栄華を極めた彼女たちの、行く末とは……?


「寛子さんって、関西人なんですか!?めっちゃシュッとされてるから、東京の人なんやと思ってました……」

寛子が担当しているクライアントの男性が、目を見開いて驚く。

「ほんとですか?生まれも育ちも関西なので、私、めっちゃ関西人ですよ」

大阪出身の彼に関西訛りのアクセントで親近感を出すよう心がけながら、「東京の人だと思っていた」という男の発言に、寛子は内心ほっとしていた。

かつて自分が神戸嬢だった、とは絶対悟られたくなかったのである。

神戸嬢は、派手物好きだ。

時代はノームコアだ、ファストファッションだ、というが神戸では関係ない。ビジューつきの花柄ワンピースを身に纏い、メイクはしっかりめのチークとリップ。行きつけのヘアーサロン『CARE』か『WHITE HOUSE』で仕上げた巻き髪がトレードマークだ。

そして極めつけは、華奢な手に光るジェルネイルと、手元を飾る指輪である。カルティエやブルガリなどのジュエリーは、高校生の時から持っていて当たり前。

また既婚者においてはダイヤの大きさを競いあうかのように、婚約指輪を普段使いするのも、「神戸嬢」の証だ。

その数々を思い出し、寛子はすっかり白けた気分になった。その派手派手しい全てのものが、まるで小さい頃食べたペロペロキャンディのような、子ども騙しのモノに思えてくるのだ。

今日の寛子は、カッティングが綺麗なネイビーの春ニットに、白いパンツを合わせている。髪ももちろん巻いていないし、神戸嬢だったという過去は完璧に封印しているつもりだ。

しかしそんな寛子も、かつては“神戸嬢”の有名読モとして誌面を多く飾った女の一人であった。

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