「私ね、広告の仕事は好きだったけど、25歳を過ぎたあたりから、私がなりたかった自分ってこんなんだったっけ?って考えるようになってたんだ」
由里子の意外な一言に、私は言葉が出なかった。
「仕事を覚えるのに夢中な時期を過ぎると、その疑問はどんどん大きくなっていったんだよね」
長いまつ毛を伏せながら、付け加えるように由里子は言った。
あの由里子が私と同じことを考えていたなんて、思いもしなかった。いつも自信があって、迷いなく仕事に打ち込んでいるように見えていたから。
「由里子、楽しそうに仕事してたじゃない」
ようやく言えたのは、そんなありきたりな言葉。
「うーん、やりがいはあったけど、本当はもっと自分らしさを表現できる仕事がしたかったんだ。でも、せっかく頑張って入った会社だからさ、この会社で頑張るんだって言い聞かせてたけど、そんなことを続けるうちに、心がどんどん擦り減っていくような気がして。このままじゃダメだって思って、一念発起したの」
そう言って、由里子は笑った。
私は、笑えなかった。
“なりたい自分”と“現実の自分”。そのギャップで、由里子も私も悩んでた。そして由里子は自分を変えようとして、一歩も二歩も踏み出した。
それなのに私は…。
人を羨んでばかりで、夢を叶えようとしている由里子を心の中では見下そうとしていた。そんな自分が今、私は心底恥ずかしい。
「文乃、どうした?」
何も喋らずに俯いてしまった私に、由里子は言った。
「……なんか、ごめん」
小さく謝るしかできない。
そんな私に、由里子は「なんで謝るのよ」とまた笑う。そして、少しの間を置いてこう言った。
「ねえ、文乃もやってみたら?カラーコーディネートの講座だったらプレゼンの資料作りにも役立つと思うよ。他にも色んな講座があるから、きっとやりたい講座が見つかると思うよ」
おそらく、由里子は何かを感じたんだろう。もしかしたら、私の浅はかな思いも全て見透かされていたのかもしれない。それなのに、彼女はさらに優しい声でこう言った。
「私たちの世代って、漠然と不安になることもあるじゃない?このままこの仕事を続けてていいのかな?って考えたり、今の自分でいいのかなって思ったり。私思ったんだけど、そういう時って何をしたい、なんて明確な目標なんて後からついてくるから、まずは行動に移すことが大事なんじゃないかな」
由里子の言葉に、私は無言で何度も頷く。
やっぱり由里子は、私の2歩先を歩いてる。そして2歩先から、私を優しく導いてくれてる。
―そっか…。私は、由里子のことが苦手なんじゃなくて、ただ羨ましかったんだ。
私の2歩先を颯爽と歩き、私が欲しいものを何の努力もせずに手に入れているように見えた由里子。そんな彼女に嫉妬していただけだったんだ。
「…由里子、ありがとう。そうだね、カラーコーディネートのこと、調べてみようかな」
少しだけ声に詰まりながら、やっと言えた言葉。それは、紛れもない本心だった。
28歳、恵比寿在住、大手広告代理店勤務。
ありふれた私は“特別な人間”にはなれなくても、私が思う“なりたい自分”になることは、できるはず。
そうなろうとすることを、いつの間にかやめていたのは私自身だったんだ。
私が動き始めないと、何も変わらない。そんな当たり前のことを、私は忘れてしまっていた。
由里子の言う通り、カラーコーディネートだったら今の業務でも活かせるし、クリエイティブ職への異動が叶った時にも役立つはず。
目の前で、私の爪にヤスリをかける由里子は、もう踏み出している。
私だって…!
■衣装協力:P1/ブラウス2,900円、ピアス2,500円 P2/ブラウス3,900円、ピアス1,500円 P3/ジャケット6,900円、ブラウス3,900円、イヤリング1,000円/すべてディスコート(ディスコート 東京ドームシティ ラクーア店 03-5803-1753)※すべて税抜価格になります。