夢を追う同期を、どこかで馬鹿にしていた
「私、会社辞めようと思うんだ」
由里子から突然の退職宣言を聞いて、私は耳を疑った。
由里子はいつだって、私の2歩先を歩いているような女で、決して美人ではないのにどこか艶っぽさがある。そんな由里子を、男たちはチヤホヤする。
顔が広くて、ちょっと良いレストランに行けばお店の人と仲が良かったり、そこにいるお客さんの中に知り合いがいたり。
由里子の隣に並ぶと、なんだか自分が冴えない人間に思えた。
クライアントの懐にも上手に入りこんで、男女問わず上の人から気に入られる。
そんな彼女が、私は正直苦手だった。
すべてが嘘っぽくて、軽い人間に思えて。愛想の良さ、口から滑らかにでる褒め言葉、笑顔。どれもが計算づくの行動に思えて、この子は絶対裏があるって。
「会社を辞めて、ネイルサロンを開こうと思うんだ」
嬉しそうに話す由里子を見て、私は「すごいね」って口では言いながら、絶対うまくいかないと思ってた。小さなマンションの一室とはいえ、いきなり代々木上原に自分のお店を持つなんて、どう考えても無謀だ。
由里子は、「ネイリストの勉強して資格をとったの」と得意気に言った。ほかにも、ネイリストになるのに役立つようカラーコーディネートの講座も受講したのだと。
楽しそうにそんな話をしてくる由里子は、正直羨ましくなんてなかった。
結婚してるならまだしも、まだ結婚もしてないのに会社を辞めて、そんな不安定な道に進む由里子を、見下してもいた。
今のような華やかな毎日が送れるのは、「広告代理店勤務」という肩書と、悪くない年収があるからなのに。それを捨てるなんて、ちょっと浅はかに見えた。
だから私が由里子のネイルサロンに行ったのも、そんな自分を肯定したかったからなんだと思う。
由里子が会社を辞めて3ヵ月が過ぎた頃。LINEで予約を取ってもらって、私は彼女のサロンへ行くことにした。
代々木上原の駅から、歩いて5分。少し古い低層マンションの2階に、由里子のサロンはあった。
ネイリストはまだ由里子だけしかいないのに、3人まで接客できるよう机が3つ並んでた。
明るくて清潔感のある室内にいる由里子は、大きなマスクで顔を隠して、とりたててオシャレなわけでもないベージュのエプロンを着けている。
いつも7cm以上のヒールを履いて、雑誌から飛び出してきたような、トレンドを上手におさえた服装の由里子しか見たことがなかった私は、その変わり様に少し戸惑った。
でもそれは、野暮ったいとかそんなことはなくて、なんだかとても凛として見えた。
「由里子は、ずっと広告の仕事をするんだと思ってた。まさに、絵に描いたような代理店女子だったし」
私の爪の甘皮を処理する由里子に言うと、彼女は「そうかなぁ?」と笑った。
そして笑った後に、リズミカルに動かしていた手を止めて、私の顔を真っすぐに見つめてこう言った。
「私ね、ずっと思ってたことがあるんだ」
その顔は少し不安げで、この後にどんな言葉が続くのか、私は思わず身構えてしまう。