秋吉直樹は、老舗大手出版社で編集者をしている34歳。
上智大学文学部から新卒で入社以来、最初の数年間は営業部や販売部に配属されたものの、その後は希望していた通りビジネス書の編集部で、編集者としてのキャリアを積んでいた。
最初のヒット作は、「正しい日本語」をテーマにした本だった。
気鋭の若手コピーライターに目を付け、口説き落とした。
まずは自社のビジネス雑誌でコラム連載を持たせ、連載をまとめたものに加筆してもらい出版した。
最初はなかなか売れなかったが、著名な起業家がSNSで紹介してくれたのを機に、3度の増刷を繰り返した。
その後も同じように、何冊ものビジネス書を手掛けヒット作を生み出した。
もちろん、不発の作品だってヒット作以上にある。それでも、「文芸作品は強いが、ビジネス書は弱い」と言われていた会社のイメージを覆せる程度の実績は出したという自負はある。
だから、そんな自分が文芸誌編集部に異動するなんて、直樹は想像さえしていなかった。
ましてや、他ならぬ武田壮介の後任だなんて、屈辱のようにさえ思えた。
入社当時から相性が悪いと思った男
武田壮介は、直樹の同期。早稲田大学政治経済学部出身の34歳。
入社式の日、直樹が初めて言葉を交わしたのが武田だった。
あまり自分から声をかけない直樹とは対照的に、武田は体育会系の雰囲気丸出しで、誰とでも笑顔で話していた。
新入社員は大抵、入社直後は営業部や販売部に回される。最初から編集部に入れる者はほとんどいない。
直樹もまずは営業部に配属されて、苦手な書店営業に走り回った。
武田も同じ営業部だったため、彼との接点が多かったが、直樹はいつまで経っても武田のことが苦手だった。
武田から飲みに誘われても平気で断っているうちに、誘われることはほとんどなくなった。
同期だからと言って、会社の人間と仲良くするつもりはない。ここは大学の仲良しサークルではないのだ。
それが直樹のスタンスだった。
この記事へのコメント
コメントはまだありません。