「秋吉です、よろしくお願いします」
7月3日。新しいデスクに行き、その場にいた部署の面々に簡単な挨拶を済ませて荷ほどきを始める。
デスクのものが定位置についた頃、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとそこには、武田がいた。
「おう、久しぶり。俺の後任がまさか秋吉だとはな。びっくりしたよ。で、引き継ぎいつが都合いい?できれば早めがいいんだけど」
久しぶりに見た武田は、やはり感じの良い笑顔を浮かべている。
「おい秋吉、お前相変わらず愛想ないな。そんなんじゃ先生方を怒らせるから、気をつけろよ」
先輩のような口調で言われてムッとする。その感情を隠すこともなく思いきり表情にだした。
「だからさ、そのあからさまに不機嫌な態度やめろよ」
呆れたように薄く笑いながら言うその態度が、余計に直樹の癪に触った。
武田が言った「先生方」という言葉も、直樹には気にくわなかった。
直樹が今回配属されたのは文芸誌の編集部。今まで直樹が執筆を依頼していたのは、起業家、大学教授、コンサルタントなど、本職を別に持っている人たちだった。
対して、今回配属された編集部では、執筆を依頼し、編集を担当する相手はプロの作家だ。程度はどうであれ、筆1本で生きているような人たちだ。
大御所と言われる大先生たちの担当をしている者も多い。
だが、今回直樹が引き継ぐことになっている作家は、大先生どころかはっきり言って落ち目の女性作家だ。
その作家は、会社が主催している新人賞に応募して、佳作でどうにか入賞した。
武田は彼女に何か光るものを感じたらしく、担当を熱望して彼が編集者として3作を出版した。そして、見事にすべてが売れなかった。
会社はテコ入れとして、担当を変えることにした。武田は数年振りに営業部に戻ることになり、女性作家の担当にはビジネス書で結果を出した直樹が抜擢された。
「お前さ、ちゃんと本読んでるか?」
武田が茶化すように言ってくる。
―たぶん、お前よりは読んでるぞ。
口にはしなかったが、その自信はある。だからわざわざ反論するのも面倒で、話を逸らすように言った。
「じゃあ、引き継ぎは明日の午後でいいか?」
時間を決めると武田はまわりの同僚たちに、大げさな挨拶をしながら編集部を後にした。
武田の、愛想が良すぎるほどの態度が、昔からどうにも鼻につく。
―よりによってあいつの後任かよ……。
ビジネス書の編集部で、やりたいことはまだまだ沢山あった。
構想中の企画や、密かにコンタクトを取っていた若手の敏腕経営者だっていたのだ。
だが、会社からの辞令には逆らえないのがサラリーマンの宿命。
2年を目処にビジネス書編集部に戻るつもりで、黙々と荷物を整理した。
▶NEXT:7月11日 火曜更新予定
無愛想な直樹。女性作家と対面し、さっそく問題勃発。
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