翌朝9時。待っていたのは、予想通りの結末...
「ごめん、今日朝から予定があって。…じゃ、また。」
セルリアンタワーの1室。
雑にひかれたカーテンの隙間から差し込む光が、まだ直視できない現実を教えている。
亜季の胸の内とは裏腹に、今日はとてもいい天気のようだ。
「うん。…また。」
乱れた髪を、メイクを隠すように。亜季はシーツの陰から男の様子を窺った。
―面倒なことを、言わないでくれよ。
そそくさと、逃げるようにその場を去る男の背中に、そう書いてあるのが見える。
彼、祐也とは、もう会うことはないだろう。
◆
昨夜24:30を過ぎた頃。
恵比寿駅からすぐの『BAR Noir』で待ち合わせた祐也は、既にかなり酔っていた。
「亜季ちゃ~ん、来てくれて嬉しいよ~。」
何の抵抗もなく名前で呼び、会うなり肩を抱いてきた祐也からは、煙草の匂いとともに心地よい刺激に満ちた香りがして、亜季は自分が祐也を拒否できないことを悟った。
祐也は亜季の家に行きたがったが、酔っていてもそれだけは断固阻止。
初対面に近い男を家に上げるのは躊躇われたし、そもそもあんな散らかった部屋には誰も入れられない。
別に、傷ついてなどいない。傷つくほど、彼のことをよく知らないのだから。
知っているのは、亜季より2つ年上の32歳だということ、商社マンだということ、そして神楽坂に住んでいること。そのくらい。
独身だし彼女はいないと言っていたけど、それも今となっては本当なのかどうなのか。
渋々でもホテルの部屋をとったのは、自分の家に上げられない事情があるからかも。
―ああ、もやもやする。
さっさとシャワーを浴びて、一刻も早く私もこの虚無から脱出しよう。
「…別にあんな軽い男。こっちから願い下げだっつーの。」
自分に言い聞かせるよう声に出し、亜季はベッド脇に落ちた下着を拾い上げた。
祐也事件があった翌週の水曜日。
仕事を終えた亜季は、広尾へとタクシーを飛ばした。
明治通りで車を降り、『小野木』の看板を確認して大きな木の扉を開ける。
階段を上がると、カウンター奥の席に女子力の塊のような女性、さとみが品良く座っているのが見えた。
3つ年上のさとみとは、半年ほど前に仕事を通じて知り合った。亜季が担当している食品メーカーでインスタグラマーを使ったPRを行うことになり、その際にお料理上手な美人主婦・さとみを発見。コンタクトを取ったのがきっかけ。
亜季の今一番の目標は、さとみである。
つまり、稼ぎの良い夫を持ち(さとみの夫は歯科医)、高級マンションで悠々自適に暮らす専業主婦。仕事は続けてもいいのだが、家賃と生活費を稼ぐ生活からはとにかく早々に脱したい。
亜季を認めるときゅっと口角を上げ、顔の横で小さく手を振るさとみは、同性から見ても可愛らしい。ああやって微笑まれて、喜ばない男はいないだろう。
次のデートで絶対真似しよう、と心の中でメモを取りつつ、亜季はさとみの元へと急ぐのだった。
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