SPECIAL TALK Vol.22

~ビジネスにリスクのない道はない。ポジティブに最善策をとり続ければ問題は解決していく~

留学を視野に入れての就職。言い続ければ願いは叶う

金丸:すごいですね。それなのに、どうしてアパレル業界に就職しなかったのですか?

魚谷:確かにアパレルも楽しかったのですが、英語を学びたい、留学したいという思いが強かったんです。大学4年生のときに英検1級をとり、もっと英語を極めたくて、就職活動も留学制度のある企業を中心にしました。オイルショック後の厳しい時代でしたが、希望するライオン株式会社に入りました。

金丸:でも入社しただけでは、なかなか〝留学ライン〞には乗れないですよね。

魚谷:面白いもので、入社面接から一貫して「留学」と言い続けてきたせいか、人事責任者の頭に「魚谷は留学希望」という印象が定着したようなんです。入社2年目には社内の留学試験を受けるように勧められ、2回目の試験で合格しました。

金丸:言い続けるって大事ですよね。まさに夢への第一歩です。

魚谷:でもそこからが大変で。たとえば商社だったら、社内試験から留学するまでの準備期間は、1年ぐらいありますよね。でもライオンの場合、12月に社内合格が出て、翌年の2月には留学先の願書締切という強行スケジュールでした。人事に「もし合格できなかったら、どうなるんですか?」と聞くと、「留学が中止になるだけだ」と言われてしまって、本当に焦りましたね。とにかく願書をたくさん出さなきゃと、全部で18校に提出しました。

金丸:結局、どこに留学したのですか?

魚谷:アメリカのコロンビア大学です。ニューヨークに行きたかったんです。やはり広告業界の中心であるマジソン・アベニューのある街で、マーケティングを学びたくて。それに、ライオンは当時ニューヨークに本社がある医薬品会社のブリストルマイヤーズ社とジョイントベンチャーをしていたので、そこでインターンシップ的なことも経験できたんです。

不遇な時代をどのように生き抜くべきか

金丸:伺っていると順風満帆のように見えますが、途中で悩むこともあったのでしょうか?

魚谷:今の学生も同じだと思いますが、入社するまでは会社の実態なんてわかりませんよね。私も入社前は「国際化」「ニューヨークオフィス」といったきらびやかな面しか知りませんでしたが、最初に配属されたのは、クーラーもないような車に乗って仕事をする大阪の営業所で、ほとんどが肉体的な仕事でした。1日30件営業に回ったり、取引先の店頭で床に座り込んで商品に値札を貼ったり。自分と同じような仕事を何年も続けている先輩の姿を見て、正直不安になったし悩んだりもしました。「こんなことをするために、入社したんだっけ」と。

金丸:入社して数年は、雑用をさせられることが多いですよね。そこで腐ってしまう人もいれば、チャンスを見出す人もいる。魚谷社長はどうやって乗り越えたのですか?

魚谷:いつも心に留めていた言葉があります。阪急・東宝グループの創業者である小林一三氏の「志を高く持て。同時に、足元にある日々の仕事も疎かにしてはいけない」という言葉です。慶應卒でエリートコースを突き進んできたように見える彼も、実は若い頃に不遇な目に遭って銀行を辞めたことを知って、勇気づけられました。もう一つ、尊敬する人生の先輩に相談したのもよかったですね。年配の方だったのですが、説教されるのを覚悟で「このまま働き続けて、僕はどうなるんでしょうか?」と不安な胸の内を打ち明けました。すると「若いときに、そうやって悩むのはいいことだ」と意外な答えが返ってきたんです。その上で「仕事の本質はすぐにはわからないから、とにかく1年がむしゃらに働いてみなさい。それでまったく環境が変わらなければ、改めて話し合おう」と提案してくれました。

金丸:素晴らしいアドバイスですね。未来が不安だと頑張れないのは当たり前。でも未来のことで悩まないで済むなら、今を頑張ることができる。私も若い頃、同じ経験をしました。

魚谷:1年頑張ればいいんだと思ったら、気持ちが楽になりましたね。自然と声も大きくなって元気になり、営業成績がどんどん上がっていきました。今でも忘れられない出来事があります。ある日、取引先の社長に呼ばれて、いきなりスポーツ新聞を見せられたんです。一面には、阪神が巨人に勝ったニュース。小林繁投手の写真の横に「一球入魂」と大きく書いてありました。社長がそれを指差しながら、「最初は君のこと大丈夫かなと思っていたけど、なんか最近えらい気合が入ってて、今の君にはこの言葉を感じる」と言ってくれたんです。自分の仕事ぶりを認めてくれたのだと思いました。本当にうれしかったですね。

金丸:頑張ったら、それを見ている人がちゃんといるんですよね。「よくやったな」と努力を認めてくれる人も。

魚谷:留学から帰ってきたときも、同じようなことがありました。帰国後は自分の希望どおり、ライオンとブリストルマイヤーズの合弁会社のマーケティング部に配属される予定だったんですが、空港に着くと、なぜか人事課長が迎えに来ている。なんのことはない、お偉方から「アメリカで2年も遊んでいた人間にはリハビリが必要だ」という異論が出て、元の大阪営業所に配属されることになった、と言われて。

金丸:それは腹が立ったでしょう。

魚谷:「何のための留学なんだ」って思いましたよ。正直、辞めることも考えましたが、会社のお金で留学させてもらったし、会社への恩があ
るので、またあの時のように1年だけ頑張ってみようと。それからちょうど1年後、東京本社の企画部への異動辞令が出ました。本社の企画部も希望していたのでうれしかったです。

金丸:やっぱり、どこかで誰かが見てくれているんですね。

魚谷:月並みなことを言うようですが、目の前のことに対してきちんと努力をしなければ、夢は実現しないと思います。

金丸:夢に直結するようなルートはありません。日々雑用みたいな仕事をしたり、希望と違う部署に配属されたりしながら、そこで一生懸命頑張った人だけが、次のステップに進めるのです。

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