これぞ究極のデート!?出会って間もない男女が恋に落ちた100kmのフレンチフルコース(後編)
「う〜ん、理由を聞いたわけじゃないけど、僕じゃもの足りなかったんじゃないかな。ある日突然、“もう会わない方がいいと思う”ってLINEがきて」
……なんとなく、その人はほかに好きな人ができたんじゃないかなと思った。
淳さんのように条件のいい男性を女性側から積極的にふる理由なんてそうそうない。恋愛なんて、他に好きな人でもできない限り、なんとなく続けてしまうものだ。
「もの足りない?」
「俺、けっこう普通だからさ」
それが最高なのに! いまの時代、30代の独身男性で普通の人を探す方が大変だ。普通で、一緒にいて、ほっとできる…それで十分だと思う。刺激的な恋愛は20代まででいい。それに元カノのことを悪く言わない淳さんは、やっぱりいい人だと思った。
中野坂上を抜けるとルノーは青梅街道をスイスイと進み、私が昔住んでいた新高円寺に近づいた。
「リエちゃんの最後の彼氏は?」
「私は1年くらい前」
「そっか。でも何もなかったわけじゃなかったでしょ。モテそうだし」
「それは、こっちの台詞(笑)」
淳さんが「ぷっ」と声を上げて笑った頃、クルマはいつの間にか阿佐ヶ谷の『ラ・メゾン・クルティーヌ』に到着していた。
「さぁ、お待ちかねのメインディッシュです!」
そう言って、にこやかに微笑みながら淳さんがレストランの扉を開くと、そこにはオレンジの壁やカラフルなボーダーのソファが目をひく遊びゴコロ溢れる空間が広がっていた。白いクロスがピシっとひかれているけれど、温かなムードに心がほどける感じ。
出されたお料理を見て、私は息を呑んだ。
潔いまでに深紅色でまとめられたひと皿は、官能的ですらある。
「こんな印象的なお料理は初めて!それにいい匂い。 ビーツのチュールもかわいいし、何よりお肉が美味しそう!」
その味は想像以上だった。私はひと口食べたあとで思わず小さな歓声をあげた。
「美味し~い!!」
「いまじゃ熟成肉って色んなところで出してるけど、とりあえず熟成させるとか、ブームでやってるところも多いと思うんだ。でもここは違う。肉の食べ頃と状態をきちんと見極めて、最高に旨い状態で出してくれる。すべてが絶妙なんだよ」
そんな店を知っていることが、ポイント高い。
世のなか肉好きを公言する人は多いけど、自分の好みや肉の本質を分かっている人なんて、そうそういない。淳さんは今っぽい風貌でいて、思考はかなりまじめな人なんだろう、と食事を重ねるごとに感じる。
「肉ってさ、誰が焼いて、誰と食べるかが大事だよね」
「誰と食べるかはお肉に限らないことだと思うけど」
「まあ、そうだけど…」
淳さんは、肉をもうひと切れ食べたあとで、
「今日はすごく旨く感じる」
と、私の目をじっと見つめて言った。
“好き”という言葉を使わずに、告白された気分だった。
「うん…」
私は、それだけ言うのが精一杯だった。嬉しさと同時に、少し戸惑いを感じる。想像を超えるペースで二人の距離が近づいていくことに心の警報が反応しているのだ。リエ、もしも自分の勘違いだったらどうするの?と……。30代の女には慎重になる理由がある。
それにしても、普段はコースしか出してないお店も含まれているこのフレンチフルコース。こんなことが実現できるなんて本当に信じられない。これを実現するために、淳さんはいったいどのくらい頭を下げたのだろう。
もしそれが、美味しいもの好きな私を喜ばせるためなのだとしたら、なんだか申し訳ないという思いと、純粋に嬉しいという気持ちが私の中で複雑に同居していた。
「なんだかお姫様扱いされている気分になってきた」
「お姫様というか、女の人は神様だからね」
「まるでラテン系ね(笑)フランス人みたい!」
ふたりで一緒に笑いころげ、満足した気持ちのまま店を出ると、パラパラと小雨が降っていた。
傘を持っていなかった私たちは、淳さんのジャケットを雨除けにパーキングまで走った。さりげなく自分のジャケットを犠牲にできる淳さんの優しさ。ジャケットの中で彼と接近して胸の高鳴りを感じるうちに、私の中でひとつの決意が固まっていた。
クルマに乗り込みひと息つくと、
「じゃあ最後、デザートね」
エンジンをかけながら淳さんが言う。
「わーい! よろしくお願いします!」
元気よくそう答えてはみたけれど、次が最後のひと皿だということに、喩えようのない寂しさを感じる。それはまるで遊園地の終わりの音楽が鳴り始めた時の寂しさに似ていた。