東京ネイティブ物語：渋谷があるから僕がいる 〜俳優・前川泰之の場合〜

東松原から世界へ打って出る

「友人と3人で渋谷を歩いていた時に、モデルにスカウトされたんです。高校時代からファッションに興味を持って、そういう仕事をやってみたいという気持ちはあったんです。でも自分は消極的なので、自分からアクションを起こすことはできなかった。だからあそこで声をかけてもらったことは、すごくラッキーでした」

こうしてモデルとしての第一歩を踏み出し、パッとしなかった学生生活に光が差した。所属したモデル事務所はスーパーやデパートのチラシの仕事が主体であったけれど、それでも順調に仕事は増えていく。

しかし、順調に思えたモデルの仕事だったが、いつしかチラシの仕事が中心の活動に疑問に感じるようになった。そんなとき、ある事件が起きた。その事件が起きた場所も、やはり渋谷だった。

「俺もモデルっぽくなったかな、なんて思い始めた頃で、モデル仲間と2人で渋谷のHUBってパブで飲んでいたんです。隣に女のコ3人組が座って、声をかけようぜなんて言ってると、彼女たちが聞こえよがしにこう言ったんです。モデルの端くれでしょ、って」

この出来事は、前川さんにとって大きなショックだった。そして、やはりモデルとしてやっていくからには、ファッション誌やショーで活躍しようと心に誓った。知人の紹介で事務所を移籍し、海外のショーやデザイナーのオーディションを受けるようになった。実家を出て、井の頭線の東松原で一人暮らしを始めたのもこの頃だった。

「ジョルジオ・アルマーニが東京でファッションショーをやった時のオーディションに受かって、ミラノのショーにも来ないかと誘われたんです」

そしてそこから、とんとん拍子で海外のコレクションやハイブランドの仕事が増えていく。

「東松原は第２の青春というか、思い出の場所です。渋谷にも近い割には商店街もあって、すごく住みやすかったな。ここで酒も飲んだしクラブに遊びにも行きました。パリやミラノのコレクションも、東松原から行ったんですよ。東松原から世界へ、ですね（笑）。この喫茶店『東亜』は、当時所属していた事務所の社長とよくお茶をした思い出の店です」

20歳代の快進撃を振り返りながら、前川さんは思い出の店でアイスコーヒーをひと口すすった。

東京生まれは、ボーッとしていると居場所がなくなる

そしてモデルとしての仕事をある程度やり切ってから俳優に転じ、旅行番組のリポーターなど幅広く活躍しているのはご存じの通り。

「東京にずっと住んでいるから、逆にそのよさがわからない部分もありました。でも、国内外のいろんな場所に行かせていただくようになって、改めて東京のよさがわかります。妻（元フジテレビアナウンサーの政井マヤさん）の親戚も、日本に来るとこんなにきれいで安全で親切な国はないと感心しますから。最近、娘がミュージカルに興味を持っているんですが、東京にいるといい作品を見せることができる。そのあたりも、東京で暮らす利点でしょうね」

一方で、東京に生まれ育つことには、ある種の落とし穴もあるという。

「洋服でもレストランでも、なんでも揃っているじゃないですか。だから自分をしっかり持っていないと、流されてしまう街だと思うんです」

確かに、なんでも苦労せずに手に入る東京という街には、ぬるま湯という側面がある。東京に生まれてボーッとしていると、全国各地、世界各国からガッツの入った連中がやってきて、あっという間に居場所がなくなってしまう。

前川さんのように、中学→高校→大学→モデル→俳優へと、新しい環境を求めてチャレンジしないと、東京は女神が微笑まない街なのだ。