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日比谷線の女 Vol.3

日比谷線の女:早稲田出身自称やり手営業マンと、八丁堀で迎えた苦い朝


当時も歩いたであろう新大橋通りを進み、八丁堀の交差点を右に曲がると橋が見えた。好奇心に後押しされ、そのまま歩を進める。

橋の真ん中まで来て、ふと今来た道の方を振り返ると正面には東京駅の『シャングリ・ラ ホテル』、右を向けばスカイツリー、左を見れば青く光る橋の奥に、月島・勝どきエリアのタワーマンションが見えた。それぞれが存在感を放ちながら煌々と、東京の夜を彩っている。

香織が立っているのは亀島橋、数十メートル隣で青く光るのは高橋、その奥には南高橋が、ほぼ等間隔で亀島川に架かっている。

川沿いには飲食店が数件並び、店内を照らす光は川の水面に映り揺らめく。

この光景は香織に、故郷である福岡・中洲の街を思い出させた。「中洲」で画像検索すれば大量に出てくる、『キャナルシティ博多』を遠くに写す、あの風景だ。

さすがに中洲ほどのネオンはここにはないが、香織に故郷を思い出させるには十分だった。

そう、陽介も同じ九州の出身だったはずだ。鹿児島出身らしく、焼酎ブームが落ち着いたその頃も、芋焼酎をロックで何杯も飲み、香織にもしつこく勧めてきた。

南の男らしく、くっきり二重と太い眉を持つ男だった。抜けきらない鹿児島独特のイントネーションに、何度も笑っていた記憶がある。

陽介と知り合ったのは香織が24歳の頃で、当時フル活用していたmixiのコミュニティがきっかけだった。

mixiで中学の同級生・友里子が東京にいることを知り、約10年振りに恵比寿で再会した。友里子は大手老舗ホテルに就職したらしく、ファッションもメイクも上品で洗練されていた

それは、記憶の中の友里子と目の前の彼女がすぐには結びつかない程だった。

実のところ友里子とは、学生時代はあまり親しくなかった。顔と名前は知っていたが、ほとんど会話をしたことはなかったように思う。

成人式でも同じ場にいたはずだが、お互いの姿を認識はしていなかった。

だが不思議なもので、故郷から遠く離れた地に住んでいるという共通点からか、はたまた自分たちがまだ子供だった頃、女の鎧をまとう前の姿を知っているからか、すぐに打ち解けることができた。

同期の中でも仲の良かった真希にさえ、その当時はまだ気を張っている部分があったから、虚勢を張らなくて良い友人の存在には救われたものだ。

ただ、友里子には香織のような野心は薄く、仕事にも恋愛にも一般的な安定を求めていた。香織はそこに物足りなさと苛立ちを感じることがあったが、そんな自分を軽蔑したこともある。

再会後、月に1度は2人で会うようになった。そんな折、友里子が入っていた九州出身者が集うコミュニティの飲み会が開かれるとのことで、一緒に参加したのだ。いわゆるオフ会だ。

その頃の香織は東京生活も2年目となり、広尾ガーデンヒルズに住んでいた元カレ・孝太郎の事は考えないよう、仕事と恋人探しに夢中になっていた。

会社では後輩ができ、仕事もだいぶ覚えてきた。まだまだ失敗ばかりで、落ち込むことも多かったが人間関係も含め、おおむね良好だった。

タワマンパーティにも相変わらず行っていたが、以前と比べるとその頻度は低くなっていた。同じ顔と何度も会ったり、元カレ界隈の人に出くわすのを億劫に感じることがあったからだ。ただ、渋谷や恵比寿で開かれる合コンにはなるべく行くようにしていた。

だが孝太郎や篤志と付き合った後では、合コンに来る30前後の商社やメガバンク勤務の男たちも霞んで見えた。

男に求めるレベルが高くなってしまったことは自覚していたから、このオフ会には恋愛に発展するような出会いなんて期待せず、友里子に付き合うつもりで渋谷の九州居酒屋に行った。

30人程が集まった会で、陽介とはたまたま隣の席になり、豪快に飲み食いする姿に好印象を持った。彼は早稲田を卒業後、大手飲料会社の営業をしていると言った。香織たちと同じ24歳で、「営業成績は若手の中でトップだ」との自慢が少し気になったが、とにかくよく笑っていた。

飲みなれない焼酎でいつもより酔ってしまった香織は、2次会まで行った後タクシーに乗り陽介の家に行ってしまった。

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