アスファルトに落ちる雨粒が激しく跳ね続け、足元を濡らす。まるでスコールのように激しさを増した横殴りの雨の中では、ホテルのロゴが誇らしげに刻まれた大ぶりの傘もむなしく、プロデューサーの宮本は膝から下をずぶ濡れにしてホテルへと戻ってきた。
「おかえりなさいませ、宮本様。お荷物、お持ちします」
ドアマンが、宮本の傘を手際よく受け取ると同時に、ロビーから出てきたベルスタッフが、栄養ドリンクや肉まんなどを買いこんでパンパンのコンビニ袋と、コーヒー三人分が詰まった持ち運び用ボックスに手を差し伸べた。
「お荷物はお部屋までお持ちいたします。お洋服のクリーニングが必要な場合は、何時でも構いませんのでお申し付けください」
「ありがと、う、ございます」
普段、高級ホテルとは縁遠い宮本は、ナイトレセプショニスト…というらしい、夜間のフロント係から温かくて、なにやら良い香りのするおしぼりを受け取ったが、正しい作法があるものなのか?と迷い恐縮しながらとりあえず手のひらを、そして首元をおずおずと拭った。
「宮本さまがお戻りです」とベルスタッフがインカムでどこかに伝える声が人気のないロビーに静かに響き、促されて乗り込んだ高層階用エレベーターの中を、あっという間に肉まんの香りで充満させてしまったことに、宮本はもじもじと居たたまれなくなった。
45階のスカイロビーで扉が開き、またも「宮本様、お帰りなさいませ」と、今度は高層階の専任スタッフに迎えられた。誘導されスイートルーム専用のエレベーターに乗り換えるべく歩き出したとき、宮本のポケットが震えた。
携帯を取り出すと、『たかしさん:D』からの着信だった。俳優やタレントを含めて著名人の知り合いが多い宮本は、万が一携帯を紛失した場合の著名人の個人情報の流出と悪用を防ぐため、フルネームでは登録しない。とはいえ、誰の連絡先か分からなくなるのは困るので、Dはディレクター、つまり監督を表す記号…などの工夫をしている。
午前2時になろうとしていたが、出ることにためらいはなかった。宮本はホテルのスタッフにコーヒー(と肉まん)が冷める前に、先に部屋に届けて欲しいとお願いしてから、通話ボタンを押す。
「お疲れさまです、監督。どうされました?」
「遅くに申し訳ないとは思ったけど、今、自分の作業が終わってさ。そしたら急にそっちの様子が気になり始めちゃって」
「あ~今日、別の作品の編集に行くっておっしゃっていましたもんね、お疲れさまです!」
日本でも1、2を争うヒットメーカーである門倉崇監督のスケジュールは、5年先まで埋まっていると宮本も知っている。今回の作品を受けてもらえたのは、その隙間を割り込むように縫い、撮影可能な日程を調整できたからだが、それでも奇跡に近かった。
「キョウコと…友坂くんの調子はどう?」
「どんどんいい感じになってますよ!さっき友坂先生の第三稿を読ませてもらったんですけど、めちゃくちゃ良くなってました。前の脚本では、ちょっと言葉が走り過ぎてるなってセリフもあったんですけど、キョウコ先生の表現に包みこまれるように、友坂先生の言葉も変わっていくというか、相乗効果がどんどん生まれてますよ」
「…それは良かった」
「このホテルに入ってからお2人とも筆が乗りまくってる感じで…監督のおかげでもありますからね、本当にありがとうございます!」
オレは何もしてないよと返した崇を、宮本は心から尊敬している。どうせ泊まり込みになるなら、キョウコが過ごしやすい場所にしてやって欲しいと、このホテルがキョウコのお気に入りであることを宮本に教えてくれた上に、予算オーバーだったスイートの料金を支払うとも申し出てくれたのだから。
しかも崇は、自分が薦めたことも、支払いをしていることも妻には内緒にして欲しいと言った。
「オレが勝手にやったことなのに、恩着せがましくなるのも、あの2人に気を使わせちゃうのもイヤだからさ」と笑った崇に、宮本は痺れてしまった。
「ほんっと、キョウコ先生は崇監督に愛されてますよね。僕、男ですけど羨ましいですもん。お2人見てたら結婚したくなっちゃうなぁ」
受話器の向こうの声が途切れて聞き取れず、もう一度いいですか?と宮本が尋ねると、今車を止めたところだと崇に謝られた。
「ご自宅に着かれたんですか?」
「いや、今ホテルの駐車場に入ったところ」
「ホテルって、どこのですか?」
「君たちがいるホテルだよ」
「えっ…ここに?」
編集所が近かったからさ、と、車のドアが閉まる音が、やけに大きく反響し、宮本の耳に響いた。
「今からそっちに上がる。ちょっと待ってて」
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