港区・西麻布で密かにウワサになっているBARがある。
その名も“TOUGH COOKIES(タフクッキーズ)”。
女性客しか入れず、看板もない、アクセス方法も明かされていないナゾ多き店だが、その店にたどり着くことができた女性は、“人生を変えることができる”のだという。
タフクッキーとは、“噛めない程かたいクッキー”から、タフな女性という意味がある。
▶前回:港区の夜の店で働くために、覚えておきたい暗黙のルール。知らない素人は痛い目に…
電気の消えた部屋がこんなにも寂しい…ということは、大輝と暮らし始めて知ったことの一つだ。もうすぐ午前1時。ルビーの母・明美を六本木のビジネスホテルまで送り届けてから帰宅したともみは、着替えもせずリビングのソファーに倒れ込んだ。
閉じた瞼の裏に、明美の細すぎる肩、青白い首筋が蘇る。今にも消え入りそうな頼りなさ。ともみは慌てて不吉な想像を振り払った。
― ぎゅっと、して欲しかったな。
大輝は今夜、帰ってこない。プロデューサーとキョウコ、そして大輝の三人でホテルの部屋に詰めるのだと今朝早くに出かけた。明日の朝…とは言ってももう数時間後だが、それまでに第1話の脚本を仕上げるための執筆合宿。つまり、泊まりこみだ。
「二人きりではないけど、キョウコさんとホテルで泊まりの作業……とか、嫌かな。ともみが少しでも気になるなら、オレ行かない」
澄んだ瞳で尋ねてきた大輝に、ともみは迷わず首を横にふった。プロデューサーからの招集通知も見せてくれたし、何よりこの仕事に賭けている彼の邪魔をしたくなかった。
ふわりと、大輝の香りがした。ソファーテーブルに置かれた、黒い蝋が特徴的なバイレードのキャンドルからだ。
ベルガモットの奥に潜むのは、早朝の森林を思わせるシダーウッド。そして最後に残るのはバニラだが甘すぎず、苦みを感じさせるどこか浮世離れした香り。大輝はこのシリーズの香水を愛用していて、キャンドルがあると知りともみが購入してきた。
昨夜2人で映画を見ながら灯したその残り香が、大輝の不在を尚更強く感じせる。ため息の反動で一気に吸い込んでしまったビタースイートが彼の体温を思い出させて、胸の奥がチリ、と焼けた。
― お風呂、入らなきゃ。
義務感が頭の片隅で明滅する。けれど身体は鉛のように重い。明日は朝一でルビーに電話しなきゃいけないし…と、ともみはソファーのクッションに顔を埋めたまま、深い眠りの底へと沈んでいった。
◆
「ん……」
キングサイズのベッドの上でキョウコは目を覚ました。首、そして目の奥が微かに痛い。微かに話し声が聞こえる。男性らしき複数の声。意識の浮上とともにゆっくりと体を起こし、まだうつろなまま窓一面の闇に目を向ける。
光を消してそびえたつビル群の間に、ぽっかりと空いた巨大な穴が開いているように見えた。それが、皇居の森だったと思い出したとき、ポツ、ポツ、と水滴が窓を打った。その直後、雨粒の勢いが一気に増し、ガラスを叩く音も激しくなった。
― そうだ、ここは…。
地上200メートル。六本木のホテルの50階にあるスイートルーム。ベッドサイドの腕時計が目に入った。午前1時半。この数日まともに寝ていなかったせいか、時計を外したことさえ覚えていないくらい朦朧とベッドに倒れ込んだはずだったけれど、1時間も経たないうちに目が覚めてしまったということになる。
着衣を整えるため、クローゼットの姿見の前で立ち止まった。ブラウンのセットアップは、今の気候…6月末には丁度良いシルク混のサマーニット素材で、朝、このホテルに入ってから着替えた執筆用の戦闘服だ。
— まさか、このホテルを指定されるとは、ね。
過去への感傷を振り払いながら寝室から出ると、「あ!キョウコ先生、ナイスタイミングです」という声に迎えられた。
「今、ちょうど、友坂先生の第三稿が上がったとこなんで、読んでもらえます?僕、ちょっとコンビニでコーヒーとか買ってきますから、その間にでも」
高級ホテルのお洒落すぎるコーヒーじゃ、カフェインが効いている気がしないんですよねぇ~と出て行くプロデューサーの宮本の後ろ姿をぼんやりとしたまま見送る。そうだ、私は友坂くんの原稿があがるまで、仮眠をとってくださいと言われて…。
「仕上げるのに時間がかかっちゃってすみません。あ、お水とか飲みます?白湯の方がいいかな…」
キョウコの返事を待たず、大輝は手にしていたノートPCを置いて立ち上がった。





この記事へのコメント
女の人だと思ってた。💦