少女のように澄んだ涙。それがイヤミなく似合ってしまっている。「泣くなんて、ほんと情けない、ごめんなさい」と慌ててぬぐう仕草にも、あざとさは全く感じられない。
華奢すぎるほどの体に小さな顔。港区には美容医療に惜しみなく金を投じた年齢不詳な男女が溢れているけれど、明美の場合は、そのルックスも雰囲気もナチュラルに若く、44歳にはとても見えない。
― この人は、大人になる前に、母親になってしまったのかもしれない。
邪気のない幼さは、明美の魅力なのだろうが、ともみにとっては最も苦手なタイプと言っていい。
― ルビーのことを思えば、怒りたいことも沢山ある、けど。
余命宣告を受け、明美に残された時間が限られたのならば、やり直せることはそう多くない。ならば過ちを責めることも問い詰めることも、もう無意味な気がした。それに。
― ある意味、明美さんも被害者だと思うから。
◆
男に捨てられた後、明美とルビーは、明美の母と共に浅草の実家で暮らし始めたという。けれど明美の心は壊れていき、やがて過呼吸をおこして倒れ、救急病院に運ばれてしまった。
明美は、心的外傷後ストレス障害(PTSD)だと診断された。心から愛した男に裏切られたショックが、その男に似ている娘を見ると蘇り、耳鳴りやめまい、過呼吸を起こし、時に失神する。愛の結晶であるはずの娘が裏切りの象徴へと変化し、娘を深く愛しているはずなのに…と自分自身を責めて苦しむという負のループが起こっていると診断された。
その頃には明美は幻覚も見るようになっていた。お前は愛される価値がないバカな女だと、沢山の黒い影にあざ笑われる幻覚。その影の声は全て、明美を騙して捨てた男のものだったという。
絶句し固まったともみに、私が弱かったんですよ、と悲し気に明美は笑った。
明美はしばらく入院したが、なんとか退院してからも、症状は改善したとはいえず、ルビーとの生活を始めると、発作がぶり返し、症状はむしろひどくなってしまった。そのうちに、ルビーと離れて暮らさなければ、過呼吸から失神し命を落とす危険や、幻覚から娘を攻撃してしまう可能性があると、医師に診断されてしまったという。
こうしてルビーは祖母に育てられることになり、明美が家を出て、遠方の病院に入院することになったのが、ルビーが6歳の時だったらしい。
「とはいっても、私はこの頃のことをぼんやりとしか覚えていないので、あとからお医者さんに説明してもらったんですけどね」
「もしかして…記憶がないのは、病気のせいですか?」
本当に情けないんですけど…と明美は、ともみの質問から逃げるように目を伏せた。
「倒れる少し前…母とルビーちゃんと3人で、実家で暮らし始めた頃からの記憶がおぼろげなんです。当時母が弁護士さんと、彼を訴える準備をしていたりしていて、それを私が泣いて止めたりした…とか、あとで弁護士さんから聞いたんですけど、あまり覚えていなくて」
医師には、飲んでいる薬の影響もあり、PTSDで記憶が飛ぶことは珍しくないと言われたという。
「だから…ルビーに言った最後の言葉も…?」
思い出せなかったのか。ともみの問いに明美は、弱々しく頷いたけれど。
「ルビーが覚えてくれていてよかったですね」
「え…?」
「絶対迎えに来る、って明美さんが約束したことを。記憶が消えちゃうくらい苦しい毎日の中でも、明美さんはルビーを手放すつもりはなかった。それがあの頃の本心だったってことですから。たとえ…明美さんが覚えていなくても」
明美は、少しの沈黙の後、「それでも私がルビーちゃんを迎えに行かなかったという事実は変わりませんから」と微笑んだ。






この記事へのコメント
ルビー幸せになってほしいよ
ミチ気づいて振り向いてほしい