「おはよう。何それ、今日使うやつ?」
遥斗が振り返ると、3年先輩の二宮が爽やかな笑顔を向けている。
「あ、おはようございます。はい、昨日の夜突然言われちゃって」
「あーあの人いつも無茶振りだからね。ちょっと見てやろうか?」
「ありがとうございます」
ニューヨーク支社と言っても、その半分ほどは日本人だ。ただ、ミーティングも外部とのやりとりもすべてが英語で、帰国子女でもない遥斗にとって、この環境に慣れるのに必死だった。
ドイツにいた頃と違って、ここは英語が第一言語。
デュッセルドルフでの1年間で英語はだいぶ鍛えられたと感じていたが、アメリカの中でも早口といわれるニューヨーカーの英語は、違う言語かと感じるほど聞き取るのが難しい。
二宮は資料作りが上手いので、素直に助かった。
「細かいところだと、これdoよりexecuteの方がいいかな。でも、全体的によくできてるよ」
先輩からのお墨付きをもらい、安堵の息を漏らす。
「ありがとうございます。助かりました」
「ああ。ってかさ、成瀬こっちに来て遊んでる?いつ見ても会社にいる気がするんだけど」
「いえ、今は慣れるのに必死なので」
遥斗はそう答えたが、本音は違った。実際に忙しいのもあったが、まだどこかで美沙から連絡が来るんじゃないか、とうっすら期待していたのだ。
「ダメだよ、そんなんじゃ擦り切れて終わっちゃう。プライベートを充実させてこその仕事だろ?このままだと、大野さんコースだぜ?」
「隣のグループの大野課長ですか?」
「ああ。あの人ずっと仕事人間だったからさ、いろんな国回って仕事しまくって、41歳で独身。金はあるけど結婚相手が見つからないって、最近じゃ日本のマッチングアプリや結婚相談所にいくつか登録して真剣に婚活してるんだよ。オンラインで気が合った相手にこっちに来てもらったり、休みのときに日本に帰ったり…。頑張ってるらしいよ」
「遠距離婚活!?」
ニューヨークと日本の遠距離で恋人探しなんて非効率ではないか、と遥斗は思う。
「でも、なんでわざわざ?」
「結局、結婚するなら日本人女性がいいなって思ったみたいよ」
「あー、そういう話よく聞きますね。一周回って日本人がよかったみたいな話」
「それに、成瀬も知っていると思うけど、せっかく付き合っても海外駐在が多い商社マンについてくる女性って、最近意外と少ないんだよ。彼女はできても、結婚相手を探すのってホント難しいよな」
遥斗はふと美沙のことを思い出し胸がチクリと痛んだ。
「わかります、僕もそれで彼女に振られましたからね」
「成瀬は今28歳だっけ?20代でニューヨーク駐在で、給料も日本にいるときより多い。今が一番市場価値が高いんだから、もっと楽しまないと。こっちにいる間に婚活ってのも悪くないよ?ただし、日本人コミュニティは狭いから、下手に手を出すと一気に噂が回るから気をつけろよ」
二宮は、薬指にプラチナリングのついた左手をひらひらとさせ、仕事に戻っていった。
◆
その週の土曜日、遥斗はMeetupというアプリで登録したランニンググループに参加することにした。
セントラルパークの中で毎週水曜と土曜の朝に開催されているが、登録だけして一度も行っていなかったのだが、いきなり出会いを探すより気軽かなと思ったからだ。
仕事以外でのローカルの集まりに参加するのは、正直緊張する。
遥斗が到着すると、すでに20人ほどが集まっており、20代前半から中には60代の人も参加し、和気藹々とした雰囲気だった。
「Good morning. Are you new here?(ここは初めて?)」
声をかけてきたのは、美しい笑顔のマヤという女性。
柔らかな金髪を一つにまとめ、ボディラインの出るランニングウェアが、彼女の細長い手足を一層際立たせている。
ニューヨークに来て初めて、遥斗の心が動いた瞬間だった。
▶他にも:「仕事か恋愛か」どちらを取るかを迫られ、迷いなく仕事を選んだ女。10年後…
▶︎NEXT:11月12日 水曜更新予定
ニューヨークでの初めての出会いに浮き足立つ遥斗が、ぶつかったある壁とは…?








この記事へのコメント
下手くそ