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2週間後、遥斗は美沙を丸ビルにある『サンス・エ・サヴール』での食事デートに誘った。
35階からの絶景に負けない繊細で美しい料理を楽しめる、美沙のお気に入りのレストラン。
会話が弾む中、遥斗は本題を切り出した。
「あのさ、俺…ニューヨークに転勤することになった」
美沙の動きが止まり、空気が一瞬で張り詰める。
「それは、いつ?期間は?」
「4月から、短くて2年。でももっとかもしれない」
正直、結婚は今すぐしたいとは思っていなかった。28歳で結婚するのは早い気がしたし、自分の時間もまだ欲しい。けれど美沙のことは好きだったし、別れたくないというのが本音。
「それで…美沙はどうしたい?俺はできれば続けたいし、別れたくない。結婚も考えてる」
「結婚?」
美沙が鋭い目を向ける。だが遥斗は美沙の表情に気が付かずに、続けた。
「まあ、今すぐじゃなくていいんだ。美沙だって仕事の都合があるだろうし。将来的に結婚を考えてるってこと。ただ、美沙がどうしたいのかが聞きたくて」
今の時代、プロポーズをして自分の考えを押し付けるのは古い、彼女の仕事のことまで思いやれるのが良い彼氏なんだ、と遥斗は思っている。
しかし、美沙は少し悲しそうな顔をして深く息を吐いた。
「…遠距離は、いや。もうあんな辛い思いはしたくない。でも、結婚っていつ?私はどうなるの?仕事を辞めてついていくの?」
「いや、結婚は俺の赴任が終わって帰国してからでもいいよ。美沙も中途半端な状態で遠距離はしたくないだろうと思って。だから婚約しておいた方が美沙も安心でしょ?」
遥斗が言葉を重ねれば重ねるほど、なぜか空気は重くなる。
ぎこちない雰囲気のまま駅に向かう途中で、美沙が急に立ち止まる。
「…ごめん、遥斗。一緒にいたいけど、あなたとの結婚は無理だと思う」
「…どうして?」
「まだ仕事を辞める気はないし、遠距離も耐えられない。たとえ今回乗り切っても、あなたはこれから何度も海外駐在の機会があるでしょ?その度に仕事を辞めるか、遠距離になるかを考えるのも嫌だし…。将来のこと考えると、今別れるのがベストだと思う。いずれこの時が来るんじゃないかとは思っていたけど」
― いやいや、嘘だろ…。
正直、こんな簡単にフラれるとは思っていなかった。憧れのニューヨーク転勤だと喜んでいたのも束の間、遥斗は一気に凹む。
世間には“駐在妻”になりたいといって、喜んでついてくる女性もいる。美沙が仕事を大事にするのは知っていたが、だからといって別れなくたって、と遥斗は気が動転した。
「そうだよね、そういう自立した考えを持った美沙だから、好きなんだよ。仕事辞めたくないなら、別居婚っていうスタイルだっていい。俺たちみたいなハイスペカップルなら、今時普通のことだし。お互いの気持ちさえあればなんとかなるよ」
「遠距離続かなかったでしょ?私だってつらいけど、先のことを考えると今別れるのがお互いにとっていいと思うの」
「そっか…。でもすぐに結論は出さなくていいから。ちょっと考えてみて」
一度決めたら彼女の考えが変わらないのは知っているが、遥斗は、なんとか繋ぎ止めたくて必至に提案する。
「うん、でもずっと考えてた。きっと私の考えは変わらないと思う。ごめんね、今までありがとう」
遥斗は「いや、でも…」と言うのを堪えて、何とか「わかった」と声を振り絞る。
精一杯格好つけて「今までありがとう。元気で頑張ってね」と言って別れた後、家に帰り、一人で晩酌しながら泣いた。
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半年後
マンハッタンの朝は東京よりも早いように感じる。午前6時半だというのに、スーツやヨガウェアを着た人々が、片手にコーヒーを持ち、ワイヤレスイヤホンで通話しながら足早に歩いていく。
その中を遥斗も同じように歩き、高層ビルへと吸い込まれていった。
オフィスに着くと、すでに数人が仕事をしている。遥斗も自分のデスクへ向かうと、少しのため息とともに席に座る。
今日朝一で使う資料の作成を、昨日の夜に上司から頼まれたのだ。
強いカフェインを体に流し込み、集中して資料を作っていると、突然背後から肩を叩かれた。







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下手くそ